odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「永久戦争」(新潮文庫)「地球防衛軍」「変数人間」 PKDの戦争はどこか奇妙。

 1993年に訳者の朝倉久志が編集した短編集。それまでにでていた8冊の短編集と重複しない作品を選んだという。新潮文庫のPKD短編集はこの三冊で打ち止め。

地球防衛軍」 The Defenders 1953.01 ・・・ 米ソ間の冷戦は8年前に全面戦争になった。核兵器が使われ、人は地下都市にこもり、地上のロボット(人間そっくり)に兵器を送り、戦闘を代行させていた。地下の人々は放射能に怯え、戦争につかれていた。司令官はあるとき、疑惑にとらわれる。地上の激烈な戦争はうそなのではないか。選ばれた三人が地上に登る。マッカーシズムと冷戦のさなかに、戦争推進派に冷水をぶっかけるような仕組み。解説に言われて気付いたがこの設定は「最後から二番目の真実」だね。長編の方がもっと凝った構成。ここのロボットは「不気味」や融通が利かないのではなく、理知的。

「傍観者」 The Chromium Fence 1955.07 ・・・ 体臭、口臭を一掃しようとする清潔党と気にしない自然党の熾烈な戦い。火花は家庭まで届き、家族間で政治闘争が起きる。それに関与したくない(消極的な個人の自由の尊重を主張)サラリーマンが世情に辟易としている。ついに清潔党が選挙で大勝し、体臭の持ち主を見つけ出すために警察が動き出す。物事を白か黒に二分したい全体主義の世界で、個人主義は弾圧の対象になる。アメリカもそういう傾向のある時代だった。事態に対処できずに自己破壊衝動をもつ主人公はこの先何度も現れる。

「歴戦の勇士」 War Veteran 1955.03 ・・・ 「ウォー・ベテラン」(現代教養文庫)所収。

「奉仕するもの」 To Serve the Master 1956.02 ・・・ 全面戦争になって人類は地下都市にこもる。人間対ロボットの戦いはロボットの殲滅で終わったのだが、今では国家間の戦争に移行していた。第4級配達員はあるとき地表で壊れかけたロボットをみつける。100年ぶりに動き出したロボット(アンドロイド)はバッテリーパックを要求する。過去の歴史を知るものから、歴史の書き換え・捏造が行われていたことを知る。ふと口を滑らしたために、ロボットの存在が発覚してしまった。人間の権力の非人間性とロボットの不気味さ。無知で無垢なものに強要される暴力。「マスターの最期」 The Last of the Masters(「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック IV」(サンリオSF文庫)所収)に似た設定。しかし、結論は真逆。PKDは同じ世界や社会を構想して結末の違う作品を書くことがあった(ような気がする)。

「ジョンの世界」 Jon’s World 1954 ・・・ 「ウォー・ゲーム」(ちくま文庫)所収。

「変数人間」 The Variable Man 1953.07 ・・・ 2136年(作中には2128年ともあってどっちが正しいのか不明)。地球はアルファ・ケンタウリのケンタウロス帝国と接触。帝国は地球を包囲して、太陽系外への脱出を阻止していた。80年たち、地球はケンタウロス帝国との戦争を準備していたが、SRBコンピュータは地球が戦争に勝てる確率を出さなかった。ラインハート公安長官はシェリコフ軍事開発員に新兵器の開発を要求する。かつて失敗した超光速推進エンジンを爆弾に変え、アルファ・ケンタウリを強襲するのである。これでコンピュータによる勝利のオッズがあがった。問題は亜空間から宇宙に戻るのを制御する回路の製造。あまりに細かすぎて人間にも機械にもできない。焦燥。別件でタイムマシンで過去を研究するチームを帰還させようとしたとき、1913年のアメリカの諸君を巻き込んでしまった。この男はすばらしい指と目を持っていて、見知らぬ機械を簡単に修理してしまう。しかしこの男の情報をコンピュータにいれると勝利の確率が計算できなくなる(なので、「変数人間」)。シェリコフは職人トマス・コールをとらえ、ラインハートは変数人間を抹殺しようとする。ラインハートの部隊はシェリコフをとらえ損ね、シェリコフは研究所にかくまって回路製造に携わらせた。ラインハートは激怒し、シェリコフの研究所を急襲させる(描写がアニメ「新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを君に」の特務機関ネルフの基地襲撃にそっくり)。コールのゆくえは? ケンタウロス帝国との星間戦争は? 人類の未来は? コールの側から見ると「報酬」paycheckみたいな巻き込まれ型サスペンスで、ラインハートからすると「変種第二号」「ジョンの世界」のような世界を救う信念に凝り固まった軍人の活躍物語で、シェリコフからすると「ヤンシーにならえ」のような自由主義個人主義回復の物語。いろいろな仕掛けがスペースオペラやサスペンスなどたくさんのジャンルを横断する稀有壮大なストーリーになった。映画になるといいなあ。ここでは過去の人間が現在の戦争を解決するが、未来の人間が現在の戦争に介入するようにしたのが「ウォー・ベテラン(歴戦の勇士)」になる。


 短編集の表題「永久戦争」とあるように、収録短編はいずれも戦争をテーマにしている。単純な仮想戦記ではないし、戦場の冒険アクションではないし、やはりPKDの戦争というしかない。戦争という状況があっても、事態をコントロールできる主体(組織、個人)はなく、なりゆきと惰性で戦争状態が継続されている。政府や軍も戦争の全体を把握するのが困難。市民には情報が行き届かず、疑心にとらわれるか、政府発表に依存するか。政府は市民を信用せず、スパイを放っていて監視上隊をつくり、いつでも強権を発動して逮捕拘留、ときに強制労働収容所に送ることができる。戦争は機械やロボットに任せられ、その機械やロボットも信用ならない。戦争が常態になって、終わらせることも状況を変えることもできない。資源の枯渇は目前で、環境破壊も進行している。戦争以前の「市民社会(1950年代のアメリカの郊外都市の暮し)」に戻ることはできない。その暮らしや社会は憧れの対象に他ならない(すなわち発表当時の読者の現実がノスタルジーの対象になる)。
 これがPKDの「永久戦争」。冷戦やマッカーシズムのただなかであり、FBIが市民監視をしていて、スパイ容疑の摘発があった時代。経済成長をしていて見かけは裕福であっても、PKDの見るアメリカの「現実」はこんな具合に歪んでいて、不合理と不条理に満ちていた。