odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

フィリップ・K・ディック「ウォー・ゲーム」(ちくま文庫)

 早くからPKDを紹介してきた仁賀克雄さんが編集したPKDの短編集(1992年9月初出)。「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)とは別に編集された短編集。「ウォー・ゲーム」「ドアの向うで」「萎びたリンゴ」が重複。
2018/09/25 フィリップ・K・ディック「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)

「自動砲」 The Gun 1952.09 ・・・ その惑星は核戦争で廃墟になっていた。生物はいないのに砲撃を受ける。町には自動追尾と攻撃の砲台が残されていた。映画「マトリックスレヴォリューションズ」の地上の機械都市みたい。書かれたのは1952年でPCなどないころ。自立的な機械はフランケンシュタインの怪物みたいな恐怖の対象。核の自動報復システムができるのは1960年ころか。

「偉大なる神」 Great C 1953.09 ・・・ その村では毎年、「グレートC」が決して答えられない質問をするために若者を送り出していた。帰ってきたものはいない。今年はケントの番。村の英知を結集した質問をグレートCはすらすらと答える。人工知能が自立するのは人類の恐怖になるというのが当時の認識。

「ドアの向うで」 Beyond the Door 1954.01 ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

「パットへの贈り物」 A Present for Pat 1954.01 ・・・ 妻のパットへの贈り物にしたのはガニメデの神の像。奇跡を起こすことができるが、とても傲慢で意地悪で気分屋。妻や友人の姿を変えたので、会社を首になってしまう。そこに社長がやってきて、神の像を取り上げようとする。ドタバタコメディの裏で、ガニメデの神が来た理由は何かという話も同時進行。

「有名作家」 Prominent Author 1954.05 ・・・ ジフィー・スカットラー(ま、なんだ、どこでもドアだ)のチェック中、四次元で奇妙な小さい人と会う。彼らの手紙を受け取ったが読めない。翻訳チームに仕事をさせ、調査チームに返事を書かせる。それがついに露見して首になったが、彼のしたことがようやくわかった。でタイトルになる。その作者不明の有名な文書のライターになったとは。笑った。

「萎びたリンゴ」 Of Withered Apples 1954.07 ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

「スーヴェニール」 Souvenir 1954.10 ・・・ 三世紀前に失踪したウィリアムソンは辺境の惑星で、中世ヨーロッパと19世紀アメリカ開拓時代のような社会をつくっていた。銀河連邦は文化の差異を認めないので、連邦加入を勧める。しかしウィリアムソンの星は拒絶した・・・。この先か前にル・グィンの「闇の左手」「所有せざる人々」があるのだね。あらずもがなだが、スーヴェニールはお土産の意。ウィリアムソンの社会からプリコラージュの生産品を持ち帰る。

「ジョンの世界」 Jon’s World 1954 ・・・ 人類対人類、ついで人類対マシン(「変種第二号」 Second Varietyのクロウ)の戦いがあった。地球は荒廃している。ライアンはタイムシップに乗って、クロウの発明者を見つけ、書類を奪取する任務に就いた。気になるのは息子のジョンの幻視。現在の地球とは似ても似つかない田園風景をみて、そちらがリアルだという。病院に収監する手続きをへて、ライアンは過去に向かった。解説のように映画「ターミネーター2」に似ている(こちらがずっと前)。ジョンの幻視の意味がかわるところに注目。「歴史が現実的なのは、たんに事実だからではなく、諸可能性の中において事実だから(柄谷行人「可能性と現実性@探求II講談社学術文庫)」の指摘を思い出す。

「探検隊はおれたちだ」 Explorers We 1959.01 ・・・ 火星探検隊が2年ぶりに地球に帰還した。しかし地球人は歓迎するどころか、彼らの姿を見て悲鳴を上げて逃げる。この小説の怖さは、東西冷戦とマッカーシズムのスパイ恐怖を表しているtことと、この10年後にベトナム戦争の帰還兵が受けた処遇を先取りしていること。

ウォー・ゲーム」 War Game ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。


 ここに収録された短編は、既出の短編集と重複しないようにという意図がある(一部は編者自身が編んだ短編集とかぶるものはあるが)。あわせて、共通するテーマは非人間とのコミュニケーションの不全。ここに現れる異邦人、機械、異星人、神などとは合理的、論理的な会話ができない。どこかずれ、違和がある。その結果、異邦人、機械、異星人、神などは共同体にそぐわないものとして排除され、ときに抹殺される。人間の共同体からみると、恐怖なのは姿形ではなくて、話が通じないこと。それだけで排除や抹殺の理由になる。
 共同体の中では、排除や抹殺が行われることになるが、そうでないときもある。結果として成功しなかったが、「萎びたリンゴ」のリロという女性はリンゴの木(精霊が宿っていそうな古木)と共感の関係をもった。それはリロが共同体に違和を感じる個として、村(共同体)のはずれにある捨てられた果樹園に行ったことで可能になる。まあ、柄谷行人が「隠喩としての建築」「探求I」などで強調する交通(交換、コミュニケーション、交易など)が共同体と共同体の間で行われたからだ。間にあることで、共同体の規則(ここでは他者の排除)が適用されず、そのつど新しいルールや規則を作り改変することが行われる。リロとリンゴの古木だって互いが互いを理解したとは言えないが、共感の関係はできたわけで、そこでは排除や抹殺ではない、共存の可能性が生まれる。それは資本主義が世界を覆って一つの共同体をつくるとき(グローバリズム)、排除と抹殺の規則が世界中に行き渡ってしまい排外主義とレイシズムが実行される中では、ほとんど唯一の希望。でも共同体の力は個々の交通ですら許さない。
 このような抽象的な読み方も可能だし、個々の短編でみたように、書かれた時代や社会の反映をみながら読むことも可能。PKDのほとんどの短編は読み捨てで、生前はまとめられなかったが、読み返すと意匠は古くとも、もんだいを随所に見つけられる現在の作品。1950年代の短編SFの書き手の中ではほとんど彼ひとりではないか。
(そういう意味では、表層上の陳腐なSFアイデア――宇宙戦争、人型ロケット、TV電話、タイムマシンなど――に気を取られることがないように、当時ないしその前の、今となっては陳腐なアイデアのSFを大量に読んでおいた方がいいな。PKDの小説は独自なところにあるけど、SFというジャンルの批評でもあるから、SFの知識を持っていた方がよい。)