odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

デイル・フルタニ「ミステリー・クラブ事件簿」(集英社文庫) アメリカ社会でマイノリティである日系はアメリカの因習や差別の壁に煩悶する。

 1990年ころのロサンジェルスプログラマーを解雇されて閑を持て余した日系の中年男の下に白人女性が訪れ、ある書類の受け渡しを代わってほしいと依頼される。ミステリー・クラブの例会準備のために、オフィスに「探偵」の看板を掲げていたので、勘違いされたのだ。報酬500ドル欲しさで引き受ける。相手は日本人の老人。品物を受け取って、オフィスにしまう代わりに恋人に預けた。それがやばいものと知ったのはそのあと。老人が剣で惨殺され、オフィスは物色され、白人女性は日本人のやくざ二人に追いかけられていた。調べに来た白人警官にいやな顔をされると、過去に受けた人種差別のあれこれを思い出し、中年男ケン・タナカはこころならずも、しかし義侠心と自尊心を秘め、ロスの日本人街を証人をめざしてうろつきまわる。支えにするのは、自分の推理力と大好きなハメットの長編(「マルタの鷹」)。

 リドリー・スコットブラック・レイン」1989年は同じ時代に、アメリカ白人が日本に刑事捜査に来て日本の因習の壁に煩悶するという内容だったが、こちら(1993年初出)は日系アメリカ人が日本人街で日系アメリカ人と日本人を相手にアメリカの因習や差別の壁に煩悶するという内容になっている。ヤクザが出てくるという共通項があって、二つの作品はポジとネガの関係になっている(かな)。
 日系アメリカ人や日本人はアメリカ社会ではマイノリティであって、日本人(アジア人)の顔をしていると、それだけで差別を受ける。1990年代に70代の老人たちは一様に、戦時中の収容所暮らしを経験している。財産を凍結され、マジョリティからの差別を受け、劣悪な環境に強制的に移住居住させられ、アメリカへの忠誠心を踏み石にされる。日系兵士は劣悪な指揮官のもとで、危険な任務にさらされ、しかし帰還後も扱いは変わらない。ケン・タナカは優秀なプログラマーであったが、昇進には無縁。人事部に抗議すると評価が落とされ、解雇される。警察はマイノリティへの差別心を隠そうともしない。それに抗議すると暴力が返ってくることを思うと(告訴しても取り上げられない)、へつらいが日常になってしまう。
 そのような差別の状況において、ナショナルアイデンティティを日系アメリカ人はだれもが考えざるを得ない。日本人の習慣や風習を本国以上に濃厚に残し、まったく風土になり日本の習俗を保存しようとする。個々の振る舞いや心理の動きにも、日本人の特性があるのではないかと考えることになる。当然のことながら、英語が母語であり、日本語が後から習得した言語であるとすると、本国の日本人は彼らに侮蔑や差別を向けるのである(当時の日本はバブル時代で、日系人よりも金を多く持っていたのが拍車をかける)。故郷と祖国、国籍と民族の分裂があるのだ。それに葛藤するケン・タナカの内面描写は見事。収容所時代の老人たちの証言も貴重だと思う。
 ハードボイルドの筋としては単調で、登場人物の少なさが捜査の過程の面白さを減じている。長編第1作だからしかたないか。ものたりないのは、日系アメリカ人の比較的閉鎖的な社会を舞台にして、それ以外の人種がでてこないことか。とくにマジョリティの白人アメリカ人。ヒスパニックはいても、黒人が出てこない。事件の構造もシンプル。これはいずれ克服できるでしょう。
 なので、日本の読者としては、上に書いたようなナショナルアイデンティティのありように関心を向けることになる。あとがきによると、著者は1946年生まれの日系アメリカ人。最初に書いたのが本書(1996年)で、いくつかの賞を受賞したとのこと。「アジア系アメリカ人作家がアジア系の私立探偵を主人公にした作品はこれが初めてであり、また大きなミステリー賞を受賞したアジア系の作家も彼(著者)が初めてだそう」とのこと。それだけ、日系アメリカ人の内面を描いた小説は少ないので(文庫の出た1998年当時のことで、2018年ではどうかは知らない。たぶん韓国系や中国系、ベトナム系の作家がたくさんいるだろう)、そちらで評価する。
(追記: 21世紀の中国では日本の新本格を読んで育った世代がミステリーをたくさん書いている。いくつかは邦訳がでている。)
 おれはとても楽しんで読んだが、検索すると、シリーズを書いているようだが、翻訳はない。日本の読者には縁遠かったか。残念。まあ、おれも国内の差別問題を調べるようになる前だったら、手に取ることはなかったと思う。日本に差別問題はないというのが政府や官庁の公式見解になっているが、そうではないことをこの小説は明らかにしているので、読むべし。

 その後の作品に関する記事があった。「Dale Furutani にみる新たなアメリカニズムの予兆」
Dale Furutani にみる新たなアメリカニズムの予兆 - ディスカバー・ニッケイ