odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

森敦「意味の変容」(ちくま文庫)

「光学工場、ダム工事現場、印刷所、およそ「哲学」とは程遠い場所で積み重ねられた人生経験。本書は、著者がその経験の中から紡ぎ出した論理を軸に展開した、特異な小説的作品である。幽冥の論理やリアリズム1.25倍論など独自の世界観・文学観から宗教論・数学論まで、著者の創作活動のエッセンスが凝縮された奇蹟的な作品。」

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 1974年に雑誌に掲載されたのを改稿して1984年に出版。後ろの「覚書」によると、もっと前から部分的に書いていたものらしい。要約不可能な作品なので、背景とキーワードを羅列する。

寓話の実現 ・・・ 「壮麗なものの中でも、もっとも壮麗な蛇」のモノローグ。

死者の眼 ・・・ 戦闘機の照準眼鏡工場にて。壷中の天。内部-境界-外部、全体概念、生-幽明境-死、倍率一倍の望遠鏡、リアリズム倍率1.25倍、十字線の零点、死者の眼。

宇宙の樹 ・・・ ダム建設現場に到着するまで。洪水があるたびに遡る巨大なグリ石、天の哄笑、(密閉かつ開けられた)近傍-境界-域外、口輪をはめられた疥癬病みの犬の寓話(ヨブ記によく似た)、無矛盾であろうとする矛盾、「道と世界とは関数関係にあるばかりでなく、道を以て世界を意味させることすらある」、宇宙の樹。

アルカディア ・・・ 零細印刷屋にて。矛盾をはらむ実存として対応することの関係、北方民族、アルカディアとしての雪原、幻術としての借財、死んだら絶対に落とさなければならない約束手形、意味の変容。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ ・・・ サクソフォンの可能性を広げたサミューエル・ジョンソンの零落後、サクソフォンを手にする。同じビルの名を持つらしい無名の男の独白。イエスの死を「死ぬということこそ、現実が現実であることを失って、まつたき実現になる」と認識したマリアたちの恍惚(生-幽明境-死の不分明で、逆転されるという前の作品の指摘を思い出すこと)。

 以上の5編を収録。
 思想とも随想とも思われる抽象的、数学的、科学的思考がかかれている。とはいえ、これを論文とも随想とも呼ぶことははばかられ、やはり「小説」というしかないという、まあ上記の紹介文のような「奇蹟的な作品」。なにしろ類似した作品を思い浮かべることができない。ボルヘス? カフカ?違うなあ。老子?そうでもない。ツァラトゥストラ?なんだかなあ(解説の浅田彰はこれを上げている)。
 主題は主に内部と外部の差異、というか、その境界は解消され、内部は外部であり外部は内部であるというそういうことを語っている。その考えはどうやら数学の集合とか無限の概念あたりに根をもっていそうなのだが、また別の思考も流入しているのだろう。市井にある眼鏡工場、ダム建設、印刷所の仕事と製品が重ねられる。考えることと仕事することの差異が作家の中ではないのだな。ここに注目。あと、1980年代のニューアカデミズムのひとたちは、内部-外部の二項対立を解消、というか無効であるという考えを多くしていて、それ以前の形而上学とか文学などを批判していた。そこに、彼らとは無関係なところで同じ考えを持っている作家(しかもドメスティックな思考の方法の持ち主)を見つけたのだった。本文よりも解説のページのほうが多いと思われる奇妙な構成もそこらへんにあるのだろう。
 こういう思考の仕方は自分にはよくわからないし、たんに味わうしかないのだが、これを読んでの感想は、ここには「神」とか「超越」とかはない、そのような「小説」があるということだけで、これは傑作であるということ。たいてい、登場人物の行動とか心理を描くとなると、作家は彼らのレベルの上位のレベルの視点や観察をする権利をもっているものだ。ここらへんの議論は筒井康隆朝のガスパール」を参照してくださいな。たいていの小説では、そういう「神」の視点は文章のどこかに混入しているものだから、読者も作者と同じレベルかさらに上位のレベルにいて、小説の中(おおここにも内部-外部の思想が紛れ込んでいる)を鳥瞰することになる。まあ、読書の際に読者は上から目線で小説をみることになるのだ、そしてこの人物の行動はばかばかしいとかくだらないとか、崇高さに胸打たれるとか、いろいろな感想を持つことになる。ところが、この「意味の変容」ではそうはならない。特殊な仕掛けがほどこされているのだ。

  

 

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