odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

井伏鱒二「駅前旅館」(新潮文庫)

 駅前旅館は1980年代にビジネスホテルにとってかわられてほぼ絶滅している。まあ、我々としては東宝の喜劇映画で森繁久彌伴淳三郎フランキー堺などの演技とともに懐かしむしかない。あるいは、1956年に書かれたこの小説を読むしかない。
 小説の枠組みは、生野次郎という長年番頭を務めてきた男の回想の聞き書き。老年になりかけた独身男の記憶は時間順通りにはならず、とりとめなく行き来する。その中には、番頭になるまでの奉公、団体客の扱い、周辺の駅前旅館や割烹の亭主たちとの付き合い、なじみの居酒屋の女将との愛憎、江の島での呼び込みの修行(どこかに書いてあったが映画「駅前旅館」シリーズで森繁久彌燕返しなる呼び込み術を即興で披露したとか)、地方から出てきた若い女中との連れない仲、10数年ぶりの再会でのほんのりした逢瀬、などなどが語られる。昭和20-30年代の旅館の風俗もあわせて読み取ることになる。建物の描写は少ないものの、着物に食べ物に言葉使いにさまざまな生活用品にと、当時の民俗のよい記録。21世紀に読むと、読者の生活世界と重なるところがなくて、時代劇のよう。電話やテレビ、新幹線がいかに旅館を変えてしまったか、つくづくと思うことになる。

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 まあ、こういうストーリーよりも、旅館というシステム、修学旅行や団体客の接客や手配、さまざまなリベートや付け届け、地域寄合との付き合い、クレーム客のあしらいなど、旅館の知られざる仕事に対するうんちくのほうが面白かった。仕事というのは、とことん突き詰めた人たちにはおのずと言語化されないすごい技量があるのだね。なにしろ、一目で宿泊客か日帰り客かを見極めるだけでなく、持ち合わせている金の多寡を見積もることができ、持ち物・履物から出発元の場所を推測し、門限破りの修学旅行生の行き先に目星をつけ、クレーム客のプライドを傷つけないでもめ事を収めることができてしまうのだ。その一方で、女中や賄が辞めてしまったらすぐに手配しないといけないし、地域の組合と仲良くしておかないと急な出来事に対応できないし、同業の番頭や店長とは友達付き合いなのかライバルの偵察なのか区別できない状態で酒を飲んだり親睦旅行に出かけ、未亡人の女将に粉をかけるも昔の女に未練たらたらなのを見抜かれているのを知りつつもすっとぼけ、激務の割に金に縁のない暮らし。そこから、生まれてくる庶民の観照。ちょぼちょぼの自分ではあっても、社会とのつながりを持って、楽しく生きていくことができるよ。強い上昇志向や社会集団への帰依がなくても、どこかに生きていく場所はあり、そこには多少の苦しみと多くの喜びがあるよ、と当時のこの国の経済成長とはちょっとはずれたところの生活と人を見ることができる。
 井伏と同じ方法で消失しようとする風俗を描いたのは都筑道夫か。ホテル・ディックシリーズでは1980年代の浅草の高層ホテルを舞台にして、人情噺を繰り広げていて、ほとんどこの小説の末裔になっている。「東京夢幻図絵」では昭和の初めから空襲までを描いている。バブル時代の地上げと高齢化で、このような古い町並みと風俗が消えたとなると、小説の中でノスタルジーに浸ることになる。井伏や都筑がこのような作品を書いたのは50代になってからで、自分もそのような年齢になると、回顧の気分は非常によくわかり、小説に浸るのが心地よい。あと1960年代の森村誠一「高層の死角」、1970年代の筒井康隆「富豪刑事」、2010年代の東野圭吾「マスカレード・ホテル」あたりで旅館からホテルへの移り変わりと仕事の変化を補完しておこう。
 後、思い付きだが、夏目漱石二百十日」、川端康成伊豆の踊子」のような旅館小説の系譜をたどれるのではないかな。自分は十分な資料を持っていないので、アウトラインすら書けないけど。