odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

井伏鱒二「川釣り」(岩波文庫)

 井伏鱒二は川釣りの好きな人で、旅館に逗留して鮎やハヤやヤマメなどを釣っていた。ついでに随筆に書いたり、短編小説にしたりもしていた。それらを集めて岩波新書に入れたのは1952年のこと。収録のうち、「ワサビ盗人」「掛け持ち」は他の短編集にも収録されている。川釣りにでかけて青年二人に蘊蓄をしゃべっていたら、テグス代わりに白髪を35本(細かい)抜かれたという失敗譚(「白毛」)は、本多勝一「日本語の作文技術」朝日文庫の中でユーモアの例に取り上げられていた。なので、昭和初めの風俗描写とあわせて懐かしさを感じながら読んだ。

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 釣りの人である井伏は基本的に一人旅の人。連れだって行くことはめったにないし(この随筆集に収められたものを読む限りでは)、いくつかの目当ての川にいる釣りの先生といっしょになるくらい。自宅から一日の旅程で到着できる近場の外にはいかないし、目当ての川を数日試して帰宅する。60代になって神経痛やひざの痛みが強くなったようで、無理が効かない体だからかな。ここはチームを組んで大陸を縦断横断するような開高健の釣りとは異なる。
 釣りはよく知らないが、どうやら初心者ないし教えを乞うた直後はよく釣れるものらしい。慣れてくると、自分なりの工夫をするようになり、そうすると釣れなくなる。釣れないからさらに工夫すると、もっと釣れなくなる。そして10年もすると、枯れるのか練れるのかわからないが釣れるようになるのだという。その修練は毎日なのか月に数度かで結果の出方は違うと思うが、この随筆集を書いているころ、井伏は修練の最中だったようだ。とにかく釣れない。周りの人がたくさん釣っているから焦れてくる。できるだけ嫉妬や羨望を感じないようにしようとしてもうまくいかない。また周囲の人におせっかいをかくと、好意が裏目にでてしまう。おせっかいな人が近づいては無用のアドバイスと無駄話をしてくる。それも焦れることになる。なので、井伏の随筆は釣りよりも自己省察の感がする。そこで自分は「我慢のたりない人間」、「人間が練れていない」などと反省をする。とはいえ、行動が変わるわけでもなく、やっぱり人との関係はうまくいかない。大変だよなあ、と思う。老年なのか、もともとの行動性向なのか、井伏は卑屈と尊大がない混ざっていて、一人ぼっちは困るが人と接するとトラブルになってしまうという人。距離を置くと面白いのかもしれないが、こうして自己省察と内面描写を読むと、つきあうに面倒な人に思ってしまう。太宰治は井伏のことをどう思っていたかしら。
 釣りの本なので、川や釣り人の情報が書かれる。このごろ「日本人は公共を大切にしていて、礼儀正しい」という言説が流行っているが、この本をみるとそんなことはない。昭和の初めから30年のころまで、こと釣りに限ると、密猟が横行し(「ワサビ盗人」)、毒を流したり発破をかけたりして稚魚ごと根こそぎにしたり、鮎2万匹を漁協が放流したら釣り人のみならず投げ網使いまできて2か月で全部取ってしまう。また排泄物やごみを川に投げるのも当たり前、工事の土砂も川に投げ込む。あとこのことはお構いなしで、発覚したらふてくされて他人もやっていることだとうそぶく。そういうのを集団でやってしまう。それが昭和以前の人々のごく「自然」な在り方だったのだ。それを知っている世代である自分としては、日本人の礼儀正しさとか公共心とかを一切信用していない。ごくわずかの礼儀正しく公共心のある人々がいたという、今と同じかもっと悪い事態だったのだよ(と井伏に関係ないことに腹をたててしまった)。

<参考>

開高健「フィッシュ・オン」(新潮文庫)