odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

井伏鱒二「かきつばた・無心状」(新潮文庫) 戦後作品集。日常の瑣事に注目しながらも、日本人による差別や底意地の悪さなどにはしっかり気づいている。

 たぶん敗戦後に書かれた短編を集めたもの。解説には、作家の思い出話をのせていて貴重とは思うけど、書誌情報は必須だよね。

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普門院さん ・・・ 昭和の初め、小栗上野介菩提寺の住職になった坊さんが賊軍であった小栗の供養をするようになる。鎌倉に住む勅選議員(この小説では無名だが、原保太郎と思われる)が小栗を切ったというので話をしに行き、ともに法要をあげる。事件から70年後の真実。今(2015年)だと、敗戦直後の事件(たとえば8月14日から翌日にかけての近衛師団のクーデター未遂)を関係者に聞くようなものか。

爺さん婆さん ・・・ 友人の倅が病院を開業して血圧を測ってもらい、近眼と老眼が同時進行で困っていて、山梨の温泉につかったら爺さん婆さんばかりで、やれやれ。「二十の扉」が云々とあるから昭和20年代か。

おんなごころ ・・・ 太宰治が入水自殺する前の思い出に、同棲していた某女の品評。太宰はどうでもいいけど、亀井勝一郎、青柳瑞穂、石井桃子などが実名で登場するというのはなんとものどかな時代。きっと承認など得ていない。

かきつばた ・・・ 福山市疎開している「私」が、広島に投下された新型爆弾と、敗戦の様子を描く。思想とか省察とか哲学とかがいっさいなくて、たんに生活のことだけ。そしてふと見つけた小さな事物。たとえば、かきつばたの狂い咲に、欲しかったが割れてしまった水がめに、大八車に詰め込んだロールの印刷紙(軍の資産が配給された)など。そのような事物と人々の会話だけ。原爆と敗戦の経験を見事に描写。「黒い雨」といっしょに読むべき傑作。

犠牲 ・・・ 「塹壕の中のことは語らない」という戒めがあるそうだが、「私」は文人の軍事徴用の話を書く。マレー戦線に行った120人の中から出た戦死者や事故死者などのこと。この人が描く軍隊の様子は、1950-60年代の戦争邦画(とくに岡本喜八監督の)にそっくりで、これが平時のこの国の軍隊の様子だったのだな。戦争経験者が制作現場からいなくなった1980年以降、戦争邦画は急速にリアリティがなくなって、コスプレ芝居になってしまったよ。

ワサビ盗人 ・・・ 天城山麓でヤマメ釣りに来たら、上流からワサビが流れてきて。昭和20年代の山間部の風景。

乗合自動車 ・・・ 山の中で木炭バスに乗ったがエンジンがかからない。そこで総出で押していくことになった。田舎と都市の違いがあらわになって喧嘩も起きるが、物騒にならないのはひとえに文体のマジック。

野辺地の睦五郎略伝 ・・・ 明治維新直前、青森八戸藩。財政逼迫と黒船来航のあおりを受けた無名の人の一代史。こういう、地方の無名の人を主人公にする歴史小説もよいものだ。

河童騒動 ・・・ 明和六年、備後福山藩での河童騒動の顛末。最初の河童騒ぎは合理的な謎解きで、あとのが怪談になるのが面白い。

手洗鉢 ・・・ 30年前に買った安物の手洗鉢に苔をはやそうといろいろやってみた。

御隠居(安中町の土屋さん) ・・・ 日露戦争に27歳で従軍した現在80歳のご隠居に戦争の話を聞く。とすると、御隠居の生まれは1878年で、話を聞いたのは1958年のことになる。司馬遼太郎坂の上の雲」(文春文庫)を読んだ人は、この短編も読むべし。

リンドウの花 ・・・ アレルギー性の皮膚疾患で苦労している話と、望遠鏡を売りつけられそうになる話と、聾唖で美貌の人妻が逃げた夫を探したいというのから妄想する話がひとまとめ。「隔靴痛痒」が全体を統一するテーマかな。

野犬 ・・・ 地方の雑誌にでていたセザンヌ風の山と野犬の話に興味をひかれた友人が紹介状を持って泊まりに行く。その捜査報告。山間の家でもテレビを持っているというから1960年に近いころと思うが、まだまだ敗戦が残っている。

無心状 ・・・ 学生時代の講師の思い出と、レポートと無心状を間違った話と、片思いの女性に話しかけられてドギマギする話がひとまとめ。「あのときおれは若かった」というのが記憶をつなげていく。

表札 ・・・ 不審電話に呼び出されてお手伝い(ママ)の子が懇意にしている家に行く。前日に引っ越した後で、何も残っていない。家主に親切にされた。人情の表現が今とは違うのだなあ。

 

 気分がめいっているときに、井伏鱒二の小説を読むとほっとする。ここには天下国家の一大事はないし、ひどい人権侵害も他者危害もない。勘違いとすれ違いで感情のもつれがあるくらい。夕食の席で持ち出してみんなでアハハと笑っておしまいというもの。誰も傷つかないし、根に持つこともないし、うしろめたくなることもないし。まことにのんびりとした風景。それは語り手の「私」に限らず、ほかの人たちもそう。昭和の人々はインサイダーであれば、「表札」にあるように初対面であっても、とても親切。人情的。インサイダーといってもその範囲は結構広い。現代の核家族や会社でとても制限された内輪ではない。この人間関係は、たぶん昭和の半ばまでの生まれの人であれば共有できる懐かしさをもてるのではないかな。しかも、このようなインサイダーへの親切、お人よしというのはもう失われてしまったので、「おもてなし」のスローガン程度では回復不可能なのだ。だからよけいに懐かしいし、美しい。
 日常の瑣事ばかりだからといって、小学生の作文のような味気無さとか紋切り型とは無縁。それは、作家の物を見る目がとても感度がよくて、細部を見て取り、表面から歴史や時間をよい取ることができるから。かきつばたとか手洗鉢とか釣りの道具とか木炭バスとか、ごくありふれたもので読み手が日常では何の注意を払わないようなものでも、この作家の眼を通すと、それぞれが「意味」をもった重大な事物に様変わりする。読んでいる間、読み手の眼は作家の眼になって、日常や人生を新しく感じる。
 といって、作家はノスタルジーにに浸るだけだったり、境遇に満足しているだけだったりする凡俗な作家とは一線を画している。日常の瑣事に注目しながらも、差別や底意地の悪さなどにはしっかり気づいている。ちゃんと読まないとわからない微妙な書き方だから、表層の温厚さにつかっていると見落とす。この作家はすごい。

 

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