odd_hatchの読書ノート

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ロバート・マキャモン「少年時代 下」(文芸春秋社)-2 正義は暴力と不寛容に対して発揮されなければならない。加虐した過去は忘れてしまうのではなく、大切にする。

2019/02/25 ロバート・マキャモン「少年時代 上」(文芸春秋社) 1991年 
2019/02/19 ロバート・マキャモン「少年時代 下」(文芸春秋社)-2 1991年

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 正義は何に対して発揮されなければならないかというと、暴力と不寛容。1960年代前半の経済成長期であり、マッカーシズムから10年を経過してなお、アメリカには暴力と不寛容が満ちている。アメリカ南部の州であるから、それはより露骨にも、陰湿にも現れる。大人のみならず、子供に向けてさえも。むしろ反抗の可能性の低い、大人からは非対称な関係にあるこどもにこそ、これらの暴力と不寛容は生活に現れる。
 すでに書いたサマリーにあるようなものがこの長編小説に現れる暴力と不寛容。それ以外を思い出してみれば、コレリーの担任の老婆であり(子供への暴言、体罰などの常習)、売れないハンドメイドのシャツ売りの妻であり(病弱な息子への過剰な干渉)、ビーチ・ボーイズのロックやポップスを嫌いレコードを破壊しようとする牧師であり、トリケラトプスに暴力をふるうカーニバルの男であり、黒人部落への援助を差別的な言辞で拒否する町の男であり、ならず者一家と取引して爆薬を購入し黒人のつくった公民権博物館を爆破しようとする町の別の男であり、フリークスがコーリーを招待した暴力の街の住民であり(そこでは主に子供がターゲットになっていた)、ネオナチの存在である。これらの暴力の象徴が、冒頭の自動車に詰められた男の死体に他ならない。この男の残存思念は事件を目撃したコーリーの父を悩ますのであるが、実際のところは町を覆っていたのであるだろう。
 このような暴力や不寛容に遭遇すると、最初は体が固まってしまう。しかし繰り返されるうちに、怒りが生まれて、対抗するようになる。一度の対抗や抵抗で暴力や不寛容がなくなることはめったになく、コーリーやその周辺のひとたちは対抗や抵抗を繰り返さなければならない。その抵抗や対抗の行為が可視化されることで、周囲の人々にも変化が現れる。ことに印象に残るのは、ゼフォー版の「真昼の決闘」であるか。保安官のよびかけに人々は反応しないが、4人が立ちあがる。そのあと最初の発砲が聞こえると、人々は手に武器をもち、バスに乗り込んで集まる。さいわい決闘が終わってからなので、リンチには至らなかった(民主主義のまずいところは、集団の熱狂が排除に行きかねない、不寛容を起こしかねないこと。なので、自由主義は民主主義を嫌うことがある)。こういう光景は前作「スワン・ソング」にもあって、アメリカの草の根民主主義を誇りにしているのがうかがわれ、伝統として残っているのがはっきりわかる。
 同時に、アフリカ系アメリカ人による公民権運動も実行されている。この町ではキング牧師の主導する無抵抗非暴力のやり方が徹底されているようだ。重要なのは、ザ・レディの主導で公民権博物館がつくられていること。その意義は、次の通り。

「誰でも、自分たちの過去はどんなだったか知っておく必要がある(略)。黒い肌の者たちだけでなく、白い肌の人たちもね。過去を失くしてしまったら、未来を探し当てることもできなくなってしまう(略)。おぼえておいてほしいの、自分たちを憐れむ気持を持つためでも、過去の虐待を知っていまさら無益に苦しむためでもなく、『ほら、あれが過去のわれわれだ、それがどうだ、いまを見てみろ』とみんなが自分に言い聞かせるため(略)。わたしの仲間には、わたしたちの過去を大切にしてほしいと思っているの。忘れたふりをするのではなく。また、くよくよ考えるのでもなく。それでは未来をあきらめてしまうことにほかならないから(下巻P353-354)」

 この言葉を語るのはザ・レディであるが、そのまま作者の声と思いたい。当然、白人がこの公民権博物館をみるときは加害者としての歴史を見ることになるが、その場合でもザ・レディの言葉は有効であろう。立場を変えてなお、「わたしたちの過去を大切に」が必要なのだ。この長編では、数人のレイシストが登場するが、相応の罰を受けている。法がなくとも、人々が反対することで暴力や不寛容を見えなくすることができる(内面まで踏み込めないからなくすとはいえない)。
 
 最後にふれるのは、メイトリアートであるザ・レディのこと。彼女の存在それ自身が周囲の人を正義と善意に代えていく。もちろん彼女が言うように、助言と後押しをするだけなのであり、人が変わるのは自分自身の選択に他ならないのであるが、それでも母性の豊かさは周囲に影響を及ぼす。それはガルシア=マルケス「百年の孤独」のウルスラアジェンデ「精霊たちの家」のクラーラのごとき存在だ。
 しかし、彼女のような神話的な存在は現代にありえない。神話的、呪術的、部族的伝統を体現できるような場所はもうないのだ。ザ・レディは1967年に大往生(齢100歳を超えていただろうと人が言うのも、ウルスラやクラーラと同じ)。そうすると、人々を慰め励ます豊かな存在者はいない。そのような現代において、慰めや励ましはどのようにありうるのか。その問いを検討するのが、次作「遥か、南へ」になる。ザ・レディのような力を持つ「ブライト・ガール」を探すのが主題(のひとつ)。ゼフォーの街ではザ・レディは向こうからやってきたのだが、1990年代のアメリカ南部の街では、慰めと励ましを得るには求め彷徨うことが要求されるのだ。きつい時代になったものだ。

 

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