odd_hatchの読書ノート

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ロバート・マキャモン「狼の時 下」(角川文庫)

2019/03/05 ロバート・マキャモン「狼の時 上」(角川文庫) 1989年の続き。

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 マイケルはすでにスパイのプロであって、戦闘と情報収集の優れたプロであるのであって、今回の1944年2月から6月までの活躍(ロンドン-パリ-ベルリン-バルト海-英仏海峡と西ヨーロッパを網羅)では、彼の個人的な魅力は見えてこない。どんな危機に陥ったとしても、あるいは任務か戦友かの選択においても、苦難や苦渋を感じることはないだろうと読者は思う。あまりに優秀すぎて、こちらはどうやって相手の裏をかくかくらいにしか彼に興味は持てないのだ。マキャモンのテーマである人間的な成長はマイケルの物語にはない。
 かわりに、それを担当するのがミハイル・ガラティノフの物語。父はロシア軍の将校であった(別荘の生活はナボコフ「賜物」で階層するシーンにそっくり)が、退役したあとにロシア革命が起きた。厳格な父は部下に裏切られ、別荘で家族が抹殺される。たまたま草原にはいっていた8歳のミハイルは狼の群れに救われる。狼の血がミハイルに入った時、彼は激烈な苦痛に襲われる。数日の発熱と筋肉の痛みののち、人狼への変身が起こる。これが子供のミハイルの入会儀式になる。続いて起こるのは、共同体の一員となるための教育。ヴィクトルというロシアの大学の元教授がメンターとなり、人狼の掟と人間の知識を教える。家族を失う代わりに、疑似家族に入るわけだ。そこには中年と若い女性がいて、ぐうたらな兄や勤勉な次兄などがいる。ときに出産が起こるが、乳児は生き延びられない。厳しい環境。
 そこにふたつの脅威が迫る。ひとつは「狂戦士」と名付けられたひとりもの。ヴィクトルらの縄張りを奪うために、数年越しで彼ら家族を襲う。これはすなわちミハイルが成長するためのライバルに他ならない。すなわち、狂戦士との戦いに参与することで、メンターに伝授された知識や技術を試し、身に着けていく。このライバルを乗り越えることがミハイルを大人にするための成人儀式にほかならない。もうひとつはロシア革命後、急速な電化と工業化を推進する人間の経済活動。ヴィクトルらは数百年も人跡未踏の広大な森を縄張りとしてきたが、人間にとっては人狼の意味を認知しないうえ、森はたんなる生産手段としかみない。そのうえ、森の生き物の闘争のルールを破りまくる。最大の脅威は、自分自身でもなく、同類の中にいるのでもなく、人間(とくに資本主義)であるというのが、ミハイルの苦い認識。にもかかわらず、ヴィクトルはミハイルに「お前の人生は別の世界にある」と人狼のいる森の外にでることを後押しする。
 その決断をするのは、ミハイルの機関車ゲーム。ある地点で人間のまま走り出し、途中人狼に変身して、機関車がトンネルに入る前に機関車の前を走り抜ける。このゲームを考案したのは疑似家族の次兄。彼はミハイルの前でゲームに失敗し、命を落としている。ヴィクトルもなくなり、係累のいなくなった今、どうするかを決めるために、ミハイルは走り出す。それは人生の意味を自分で開拓し、孤独に生きることを選択することに他ならない。
 マキャモンの小説(の大半)は未熟なものが自立するまでの成長小説でもあるのだが、その主題はこのロシアの森の中で繰り広げられたミハイルの物語に他ならない。上にまとめたほかに、疑似家族内での葛藤があり、性の息吹があり、最初の恋愛と性体験、そして家族の別離がある。いずれにおいてもドラマティックな物語と、神話的な心情の交換がある。なるほど、このような古典的な成長小説はそのまま書くことはまずできない20世紀末において、唯一書けるのはホラーにおいてなのか。恐怖という極限状態に置かれることが成長を促すというわけだ。
(ただ、そのような克己と自立のすえに、英国情報部に就職するというのは、どうなのだろう。個人の感情よりも組織の任務を優先するという生き方はヴィクトルらの望んだことなのだろうか。あるいはつねに身を危機におくというのが「人狼」の生なのだおろうか。後者であるとしても、森を破壊した人間のために生きるというのはさてどうか。)