odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

久生十蘭「キャラコさん」(青空文庫)-1 読者(都会の独身男性)の常識をもち同じようなモラルにある「キャラコさん」が上流階級にはいってほぼ孤立無援になり、その階級の異人にあう。

 

 「キャラ子(剛子(つよこ))はキャラコ、金巾(かなきん)のキャラコのこと」だそう。あまり高価でないものをを身に着けている貧乏であるが(とはいえ父は陸軍少将)、しかし上流階級に出入りしているお嬢さん。こういう立場だとひくつになりそうなところを、「沈着で聡明」「寛大で謙譲(ひかえめ)で、そのくせ、どこは硬骨(ほね)のある」と評されるような独立独歩であろうとする。こういう女性は戦前の日本社会にはまずいない。そのような女性キャラクターが上流階級や貴族、ブルジョアなどのわがままやエゴにさらされ、しかし毅然と対応しているところに読者は喝さいを送るのだろう。
 1939年「新青年」連載。

 

社交室 ・・・ 貴族や金持ちの集まる別荘地のホテルの社交室。貧乏な少将の娘の剛子(つよこ)は、娘たちの「オークション」に花を添えるために呼び出された。娘たちは剛子を邪険にする。みすぼらしい老人に剛子ひとりがやさしく接していた。突然破産した娘が荒海にでて、溺れかかる。それを老人が助け、一同称賛するなか、老人は全財産を一座の中で唯一親切にしてくれた剛子に譲ると宣言し、20万円(当時の20万円は現在価値では額面の100倍くらいになるか)の有効な使い道を提案しろという。剛子の冴えたやり方。

雪の山小屋 ・・・ 山小屋でスキーを楽しむ娘さんたち。40ばかりのしゃれた男に恋心を抱く。とくに熱中した一人が死んでしまうわと雪の山にでていってしまった。キャラコさんは後を追う。恋に恋する乙女の反省(「理性を持たないと」)が見事だし、失恋してやけになった娘との無言の関係をとるキャラコさんの態度も立派。戦前の未成年はしっかりしているのだねえ(とはいえ、自由恋愛できる男女はこの時代ごく少数のエリートのみ。なので、これは作者の理想化なのだろうな。)
 天性の女たらし(本人に自覚がない)の外見は「アドルフ・マンジュウ」と喩えられる。この人。

ja.wikipedia.org


蘆と木笛 ・・・ 急に大金持ちになった(「社交室」)ので、パパラッチ(という言葉は出てこない)から逃れるために箱根の旅館に滞在しているキャラコさん。盲目の戦傷兵を見つけ、親切にする。しかしその妹から兄に近づくな、じゃまだといっていると言われる。キャラコさんの親切が「心の視力」を取り戻す。何もしていないのに、他人に強い影響を与えられるキャラコさんの人格。

女の手 ・・・ 戦争が始まって国の役に立ちたいと鉱山を探す旅をする4人の大学生。キャラコさんは興味を惹かれて、彼らのあとについて「女の手」を貸すことにする。山奥のなにもないところで、食事に、掃除に、洗濯にと八面六臂の大活躍。でも病気やけががでて学生の仕事は終わりになる。
(とても美しい話で、「十五少年漂流記」のような魔法を読者にかける。でも、それは男から見た場合。シャドウワークを一人の女性が全部担当するのを当然とする筆致は21世紀にはふさわしくない。キャラコさん、己が遊んでいるという自覚があっても、むやみに男に献身的になる必要はないよ。彼らを支援する組織を作って資金提供したほうがより正しいやり方だったと思う。)

鴎 ・・・ 豪華客船に乗って日本を周遊するフランス人たち。そこに招待されたキャラコさんは、女学校のクラスメイトにいじめられる。激しい侮蔑のあと、事を荒立てないように下船したが、そのあと明日をも知れない状態になったのでおわびをしたいと言伝が来た。キャラコさんが赴くと、家に監禁されてしまう。(この意地悪な娘の心情の底には、エスニック・アイデンティティの切実な問題があった。すなわち日本生まれのフランス人は国交が不安になったので、バンクーバーにのがれたがそこではフランス人として受け入れられず、といって日本でも日本人とは認められない。タイトルの鴎は彼女の幸せな思い出の象徴であると同時に、二つの国の間でしか人間扱いされないという差別の象徴でもある。この娘のハラスメントは許容できないが、彼女を受け入れない社会の有り様は変えないといけない。)


 読者(都会の独身男性)の常識をもち同じようなモラルにある「キャラコさん」が上流階級にはいってほぼ孤立無援になり、その階級の異人にあう。上流階級の人たちはコミュニケーションが取れず、異人の持ち込んだ問題を解決することができない。そこで読者の代表であるキャラコさんが控えめに、しかし決然と介入してうまい着地をとる。キャラコさんはそれこそ「菊と刀」に書かれたような儒教社会、同調社会の女性のふりをしているが、書かれる内面は西洋人風な自由主義者
 発表当時の抑圧が進む社会で、実際にキャラコさんのようにふるまうのはきわめて困難だったはず。なので、キャラコさんは読者の憧れでもある。キャラ萌えになりそうでもあるけど、小説社会に書かれる不自由や差別や抑圧にもしっかりを目を向けるように。そうでないと、「女の手」みたいに女性にだけシャドウワークを押し付けるのを肯定しかねないし、その背景にある軍国主義に取り込まれてしまう。
 久生十蘭の文章がすばらしい。服、食事などの描写の輝かしいこと、比喩の卓越していること。「顎十郎捕物帖」では江戸の草紙じみた文体で、翻訳「ジゴマ」では言文一致以前の項風な文体を使っていたのが、ここではフランス語をルビに使った優美な文体。これほど多彩な使い手はこの国の作家ではちょっと思いつかない。

 

www.aozora.gr.jp

 

2019/07/30 久生十蘭「キャラコさん」(青空文庫)-2 1939年に続く

 


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