odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

岡田鯱彦「薫大将と匂の宮」(別冊幻影城)

 初出(1955年)はこのタイトル。のちに「源氏物語殺人事件」に変更されて出版されたこともある。
 自分が読んだのは1978年1月の別冊幻影城で。同時収録は「樹海の殺人」。別冊幻影城は一冊に探偵作家ひとりを割り当て、代表作を掲載した。戦前から昭和30年代に活躍した作家を選んでいる。松本清張の「社会派」以前の人たちが主。

別冊幻影城 刊行リスト

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 1970年代後半には、ここに収録された作家の作品はまだ文庫で読むことができた。自分が買ったのは入手困難だった、黒岩涙香小酒井不木、そして岡田鯱彦。ほかの作家の作品は角川文庫、講談社文庫で現役だったので、買うのはためらった。このリストを眺めると、樹下太郎、蒼井雄も入手しておけばよかったと思うが、当時は存命中だった(はず)ので、スルーした。ちょっと残念。なにしろ1980年代以前の探偵小説は21世紀にはほぼ入手難になってしまい、読むことが難しい。これだけ資料が少なくなると、この国の探偵小説~推理小説史を書こうにも苦労するのではないかしら。
 著者の経歴はwikiで。陸軍幼年学校教官であったというのは別冊幻影城に書いてあった(本人提供の写真付き)、国文学者というのは本人存命中のためか書かれていない。

ja.wikipedia.org

 なるほどその経歴があるから、源氏物語が中絶したさきに実は物語が書かれていて、それも探偵小説であったという発想がでてくるのか。歴史上の人物を探偵にすることは1960年代まではまずなかった趣向であり(シオドー・マシスン「名探偵群像」がそれに近いが、初出は1961年)、岡田の発想はきわめて珍なるもの。似たような趣向のウンベルト・エーコ薔薇の名前」の四半世紀前だ。本編前にこの小説入手の経緯が書かれているのもよい。

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 宇治十帖に続く話なので、主要人物はタイトルの二人。それに中君と浮舟。最初に宇治十帖のサマリーがあるのだが、源氏物語を良く知らないので頭に入らない(泣)。身体から馥郁たる匂いを発散する薫の宮と、香をたいていつでも匂いをまとわせる匂の宮。ともに宮中随一のプレイボーイ。年下の薫大将はそろそろ浮舟といっしょになって落ち着こうかと思っているが、匂の宮はライバル心をむき出しに。なにしろ匂の宮の思い焦がれる女官には薫大将の体臭が残っていて、いつも先を越されているから。それでも匂の宮は中君と結婚しようかと思っている。そこに、浮舟、つぎに中君が宇治川に飛び込んで死亡するという事件がおきる。額には大きな傷の痕。鈍器によるものにみえる。水を飲んだ形跡なし。嫌疑は、この二人と関係のあった薫大将にかかる。そこで密教修験者を読んで祈祷をし、巫女に死者の魂を呼び寄せ、証言させると、いずれも「身投げです」という。安心したのもつかのま、今度は匂の宮が同じように投身して亡くなった。事件現場に薫大将がいたと証言する下郎がいて、薫は匂の宮に呼び出されたというが書面は紛失している。
 彼らをモデルに小説を書いていた身として、中年女官になっている紫式部が探偵の真似事をする。彼女の卓越した意見は宮廷の称賛を浴びるが、さらに年上で文学上のライバルである清少納言が異を唱えた。薫こそ真犯人だ、推理が誤っていた方が宮廷を去る、という挑戦状を紫式部に送りつける。
(実在の人物と作者がフィクションの登場人物といっしょに物語のなかにいる。現代小説でやると、違和感があるのだが、この書き方ではとても自然。作者と登場人物の壁を上手く壊している。)
 発想はよい。事件の混迷はまあ平安中期の京都、それも宮廷内で起きるとなれば、こんなものだろう。やんごとなき方々ばかりなので、検非違使も活躍できないし、下郎や従者も関係しないから、アクションはない。それもまあいい。どうにも読書が弾まないのは、小説の半分が書き手である紫式部のモノローグで、芸術論(物語に写実を取り入れよう。清少納言の書き方は気に食わないなど)や自分の感情のことばかり書いているから。それって近代の意識から生まれるものだよなあ。中世の気分にはひたれない。そのうえ、地の文章が男の文体で書いた冗長な報告文。女性の心理にそぐわないし。近代のことば(捜査、行動、真実、論理、憂鬱その他)が入るので、興を削ぐことおびただしい。趣向の面白さを技術が帳消しにしてしまった。残念。
 長らく入手難だったが、いまは扶桑社文庫と国書刊行会で手に入るようだ。