odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

木々高太郎「日本探偵小説全集 7」(創元推理文庫)-1「就眠儀式」「柳桜集」 医学部教授が戦前に書いた文学趣味と芸術至上主義の作品。

 本名・林操(1898-1969)は慶応大学医学部の教授。本名で講談社現代新書に著作がある。デビューは1934年で、ペンネームは海野十三がつけた。戦前に甲賀三郎と探偵小説は芸術か否かの論争があり、木々は芸術派だった。その主張の実践が「人生の阿呆」や「折萱」などにみられる。
木々高太郎「人生の阿呆」(創元推理文庫)

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網膜脈視症 1934.11 ・・・ 炎の幻視を見る(タイトルの病気)という子ども。ネズミの死骸を異様に怖がり、嫌っていた父になつく。奇妙なので大心池先生に診てもらうことにした。即日入院となり、家の秘密を暴かないと治療できないという。数日後、子供は誘拐されてしまった。大心池先生は当時はやりのフロイト精神分析を使って、謎を解く。言葉の断片から過去を推測するという精神分析は探偵小説になじみやすい。

睡り人形 1935.02 ・・・ 中島河太郎編「君らの狂気で死を孕ませろ」(角川文庫)所収。大心池先生譚。

就眠儀式 1935.06 ・・・  中島河太郎編「日本ミステリベスト集成1戦前編」(徳間文庫)所収。大心池先生譚。

柳桜集 「緑色の目」「文学少女」を収録した短編集。初版は豪華な装丁。
縁色の目 1936.08 ・・・ ベルリン留学中の金津博士は、下宿の娘ベアテといい仲に。でも父が寄生虫にかかって治療中に、薬を誤って死んでしまう。帰国の直前、金津は殺されたのだと啓示を受ける。古風な錯誤トリック。それよりも、ナチス時代のベルリンを舞台にしているのが貴重。とはいえ、40過ぎの中年男に二十歳くらいのベルリン娘が惚れるというのが、当時の日本人の欲望を現していて、気持ちが悪い。森鴎外舞姫」のリライトのつもりなのだろうが、そういう文学趣味があっても、文章と構成がまずくては読むに堪えない。

文学少女 1936.11 ・・・ 貧しいために勉強も文学も許されなかった女性が、ある縁で自作を作家にみてもらうまでになった。発表されたのは作家の名前。剽窃されたうえに、勝手に小切手を送られる。たたき返そうとするが良人が勝手に換金してしまう。女性はメタノールを買ってきて良人に飲ませた。男が向学心を持つと支援されるのだが(佐藤紅緑ああ玉杯に花うけて吉野源三郎君たちはどう生きるか」)、戦前女性には門戸が開けていない。男性からの女性解放支援はこんな風な憐憫でしか書けないのか。乱歩が激賞した探偵小説と純文学の融合。とはいうものの、新聞記事のような味気ない梗概しか書かれていないので、心理にも状況にも共感するのは難しい。
(これはすなわち、明治から1945年の敗戦まで、文学をやることは人の道に外れる悪とみなされていたということだ。もともと日本文学が政治小説から始まったことや、西洋かぶれであることや、傍目にはなにもしないようにみえることで、社会の秩序の破壊者であるという偏見をうけたためだろう。自我や自由を考え家の桎梏を告発する文学を、社会を変えたくない人の大半には受け入れがたい活動であった。この女性が文学ではなく、長唄や筝曲などに熱中していれば「よくできたお嬢さん」という評判を受けたはず。敗戦後は文学は自己主張や人格形成の具であると認識され、かつ高収入を得られる可能性の高い職業とみなされる。くわえて文学の破壊力もまた衰えたといえるのだ。社会を変えたくない人は文学を無視できるようになったし。)

柳桜集践 ・・・ この短編集の序文。乱歩「文学少女を読む」を収録。主人公の「情熱」と「自尊心」を評価。すなわち作者の「情熱」と「自尊心」を高く買う。あと小説が梗概だけという指摘もあった。やっぱり。


折萱 1937.01-06 ・・・ ある銀行家の当主が殺された。殺害の様子を脳卒中で倒れた老人と重い肺結核で病床に伏している青年が聞いている。家の者の犯行と思われたが、指紋のトリックや動機などから銀行家に関係している実業家が浮かび上がった。当日、実業家の行動はいかにもアリバイ工作をしているようであった。この実業家には数年前に父と前妻が互いに殺しあう凄惨な事件を起こしていた。というような事件がたらたらと語られる。すべての尋問を記録したので、まったくアクションがない。この捜査と同時並行で、素人探偵・東儀の三角関係が書かれる。推理力のあり東儀は探偵業を開業。最初の事件がこれ。困ったのは被害者の妻がかつての恋人。どうにもやりづらい。帰れば数年前に結婚した妻との関係もうまくない。それぞれの関係を修復できないまま、事件に没入するしかない。という東儀の苦悩も描かれる。とはいえ、どうにも男の身勝手さばかりが目につき、東儀には同情できず、かといって女性らへの共感を促す文章もなく、読者の視線は読書に集中できない。東儀の苦悩も書くことで、探偵小説と純文学の融合を図ったと見えるが、意図はともかく、結果は「人生の阿保」同様の低調なでき。「人生の阿保」の主人公同様に、東儀は仕事も家庭も捨てて、アメリカに逃げる。この選択をさせたことが純文学としては弱いと思うのだがなあ。

 

「文学的情熱と哲学の作家、と乱歩が高太郎を評し、松本清張は日本の推理小説にはじめて知性と詩を導入した多才の作家と、高太郎を評する。森鴎外に似てこの知識人は、詩をつくり、漢詩を愛し、文学に情熱を傾注した。文学的な同人雑誌も作り、演劇にも好意をよせ、大学では大脳生理学を講義し、多くの門下生を育てた。探偵小説が虫太郎と、高太郎の二異材の出現で、戦前の最盛期を迎える準備を完了した、というのが定説である(九鬼紫郎「探偵小説百科」P113)」

 二人がそろった「戦前の最盛期」は1935年以降のいつであったのか、と突っ込みたくなるのだが、それはさておく。ここでは高太郎の文学趣味、芸術至上主義がシリアスであったことを確認する。その芸術論争は戦後も続いていて、中村真一郎が「深夜の散歩」所収のエッセイでこの問題の「解決」を提案しているほど。それくらいに影響を与える提案であったのだが、実作となるとうーんというでき。批評眼はとても高い(うえに知性と知識も抜群)、でもそれを書く腕と技術がなかった。
 「人生の阿保」「折萱」の60年後に笠井潔「哲学者の密室」山口雅也「生ける屍の死」奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」などが出そろったのを発見すると、この半世紀のエンターテインメント小説の進化にびっくりする。


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2019/08/27 木々高太郎「日本探偵小説全集 7」(創元推理文庫)-2 に続く