大下宇陀児の作品。九鬼紫郎「探偵小説百科」(金園社)によると、1898年生まれ1966年没。デビューは1925年というからかなり早い。雑誌「新青年」では乱歩、不木に続く人気作家だったという。この二人がトリックや奇妙な味などの技法にこだわったのに対し、大下は下記に見るようにドラマと文章にこだわった人。
情獄 1930.01 ・・・ 田舎の貧乏人の息子が都会の友人の手を借りて一高に進む。その後も面倒をみてもらって、今では帝大の助教授。友人が結婚す売るというんで、いっしょに箱根の温泉に行く。眠れぬ夜、湯につかりにいくと、友人も追いかけてきた。湯の中に人ひとりくぐれる穴があって遊んでいると、友人もやってみると言い出す。犯罪者の告白を手紙にする。そうすることが真実味をますという共通の理解が作者と読者の間に生まれているから、成り立つ方法。犯罪を告白したいという衝動と、清楚な風情の奥にある「運命の女」の酷薄さ(たぶんに男から見たステロタイプが含まれる)。
凧 1936.08 ・・・ 神童とうたわれた子供が、自分の子ではないと勘違いした父にせっかんされる。それを止める母もまたDV(という言葉は作中にはでてこない)にあう。子供は母のいいつけで、奴凧と武者凧を挙げる。そうすると父は不在になり、母は浅草の役者を家に連れ込む。ある夜、父は暴漢に殺された。そのとき、母も役者もアリバイ(という言葉は作中に出てこない)があった。それから10年。神童どころか不良に堕ちた息子は凧を眺めているとき、謎が解ける。母よりも折檻された父を恋しがるという息子の真情は共依存とでも認識すべきか、母の再婚によってできた義理の父(役者)へのエディプスコンプレックスの故か、ちょっと理解しがたい。そのうえで真相を知った後の息子の改心が心に染む。
悪女 1937.04 ・・・ まじめなで信頼の厚い女中の伊勢には主人夫婦を覗き見るという悪癖がある。いつか波風たたないかと願っていたが、教育者の夫は堅物で愛妻家。それらしいことはおきない。でも強盗が来て、妻が気丈に対処したとき、伊勢は真実をいうのをためらい、強盗が不貞を働いたという手紙をねつ造した。以来、夫は妻をせっかんする。しばらくして妻は縊死を遂げた。伊勢はここでようやく真実を語ったのだが・・ 作中にある「小笛事件」はこの探偵小説全集第11巻「名作集1」に収録された山本禾太郎作の同名ノンフィクションに詳しい。
悪党元一 1952.04 ・・・ 詐欺師で女たらしの中年男、戦後のどさくさで母娘を囲うことにする。なぜか情が移って、苦しくない気持ちになったころ、中気(脳溢血)になってしまった。今度は母娘が看病を押し付けあう。いい働き口の話がきたが、そうなると中年男がじゃまになる。母娘はそれぞれ「たったひとつの冴えたやり方」を考えるのだったが・・・。石川淳や椎名麟三や坂口安吾の敗戦直後を舞台にした小説を読むと、これはファンタジー。
虚像 1955.08-12 ・・・ 退役した海軍大佐が金を集めて高利貸しをすることを思いついた。金を見せびらかしたその夜、賊が侵入し父を殺し、金を奪った。それを10歳の娘は目撃する。侵入経路は防空壕だったので、しばらく前に防空壕掘りを手伝ったものではないかを思われた。賄のばあやの息子に嫌疑がかかり、逮捕される。残された娘は父の親友が預かることになる。二歳年上の姉がいて、娘はことあるごとに張り合う。高校生になって、防空壕掘りにきた学生の一人(いまは成人)が姉に恋しているのをみて、横取りすることにした。さまざまな奸計を使って、娘は元学生、いまは実業家の妻になることに成功。その実業家、実は麻薬販売組織のボス。派手な暮らしのわりに小心者。縄張りと娘の奪い合いになる。帰りを待っている娘のもとに、手下が重傷を負って飛び込んでくる。防空壕掘りをした元学生の一人。彼から聞く真相・・・。10代の少女の手記。殺人事件が主題であるのだが、くわえて思春期の少女の移り気な気分を書くこともモチーフのひとつ。男性が女性の視点になって物語るというのは珍しいことではなく、太宰治「女生徒」武田泰淳「貴族の階段」(これは1959年でした)などがあって、珍しいわけではない。文体もこれらの作家のものに似ている。さらに、うぶな女性が男に惚れて犯罪に加担していくというのは横溝正史「女王蜂」1951年がある。こちらのほうが本作に近いか。あと田山泰次郎「肉体の門」のような肉体文学の影響もあるかもしれない。加えてここには探偵がいない。被害者ないし容疑者が犯罪のあれこれを検討する。これはアイリッシュ「死者との結婚」に近いか。途中には、義妹が義姉に嫉妬するという物語(と死んだ父へのエレクトラ・コンプレックス)が挿入される。関連しそうな小説をならべてしまった。ちょっといじわるだったか。重要なのは、そのような先行作品のパスティーシュであることではなく、語り手の10代の女性・千春の造形にある。この子はパンパンと同じ英語を使うと教師にいわれ、友達のいない仲間外れ。どこにその由来があるかというと、正義の基準をもっていて、他人の悪や不正を見逃さず正義を主張すること(でも時にレイシズムがでてしまうのが残念)。民主主義のルールを実行するが重要で、仲間うちのなあなあや権力とそのとりまきで物事が決定されるのは大嫌い。議論が好きで理詰めで物事の当否を決める。戦前の家父長制では抑圧されていた女性の解放を一身に集めたような女の子なのだ。それが太宰治や武田泰淳の手弱女ぶりとは決定的に異なる。このような女性像を書いたことに拍手。物語の弱さには目をつぶれるくらいのでき。とはいえ、知識や経験の不足で偏見や思い込みから自由になれていないとか、ライバルのあてつけで自堕落に堕ちていくという弱さもあって、作者はこの新しい女性に罰を与えているのがちょっとね。そこは明治生まれの制約があるのかも。
探偵小説の枠のなかにはあるが、謎解きや捜査の過程の描写には興味をもたない(本人は化学畑の出身)。犯罪に巻き込まれたもの/犯罪を計画しているものの不安や疑惑、恐怖や嫉妬などの心理と、それに誘発される感情に支配された不合理な行動(およびその結果)を書く。なので、著者の小説には名探偵がいない。犯罪者と被害者、それに巻き込まれた者たちが演じるドラマがかかれる。その点では、アイリッシュのようなサスペンスの手法を開拓した人。発表時期をみると、謎解きと犯人あての黄金時代の渦中であって、とても速い。
とはいえ、21世紀の目で見ると、時代の制約があって、古風なものになっている。事件が家族でおきて、家族の中の葛藤になっていること。家族のなかの強い権力から脱出したいという意思が行動の動機になっていること。戦前の家族制度が主題になっていて(それは日本の近代文学の主題であったから、著者の立ち位置は文学の中心にあったのだ)、そうではない人間の関係をかけなかった。
それに引きづられたように、女性の描き方にも。「虚像」の語り手のような女性は珍しく、どうしても無学で感情的な人間として書かれてしまう。戦前の女性はそのようであったという証言ではあっても、やはり21世紀に読むには引っかかるところが多い。
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