odd_hatchの読書ノート

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角田喜久雄「日本探偵小説全集 3」(創元推理文庫)-2「怪奇を抱く壁」「高木家の惨劇」 占領期時代の混乱と汚濁を乾いた新しい文体で描く。

 角田喜久雄の作品。1906年生まれで 1994年没の長命な作家。作家の活動期間は長い。この全集では戦後の作品が多く収録されていて、戦前は探偵小説よりも伝奇小説(「風雲将棋谷」「髑髏銭」など)を書いていたからだろう。

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発狂 1926 ・・・ 悪辣な資本家によって足を失った男が息子に復讐を誓わせる。長じて犯罪にためらいをもたなくなった息子は資本家の家に取り入り、養子になった。そこで復讐が始まる。まずは一人娘を篭絡し、蹂躙することから。そのために同じ部屋を持つ二つの別荘を用意し、娘を連れ込む。計画は成功し、資本家を追い詰めるまでにいたったが・・・。古風な物語。現代ものとするのではなく、江戸時代の伝奇小説にふさわしい。江戸川乱歩「パノラマ島奇譚」小栗虫太郎「寿命帳」など。ラストシーンはコントみたいだが、あの時代に「あれ」はとんでもなく高価だった。

死体昇天 1929.08 ・・・ 中島河太郎編「君らの狂気で死を孕ませろ」(角川文庫)を参照。

怪奇を抱く壁 1946.09 ・・・ 発表年に注目。敗戦後に復活した探偵小説の、たぶん一番早いころの作品。上野駅の雑踏で、加賀美警部(日本のメグレと思いなせえ)の目前でトランクをすりかえた男がいた。そのトランクはなんと加賀美あてに送付された。数日後、窃盗犯は加賀美が発見できるように新聞の三行広告に印をつけていた。女の行方かハンドバッグをみつけたものに5万円の賞金を出すという(この金額は敗戦後のインフレ時でもとんでもなく高額)。しかもその広告は数か月も続けて掲載され、そのたびに賞金は増えているのだった。冒頭のトランク窃盗犯と被害者がこの広告によって出会う。彼らの会話を盗み聞く加賀美。出征、空襲などの戦争に翻弄された男女の綾が戦後の汚濁の町でであう。黒澤明「野良犬」にでてきた上野の雑踏で起きた事件。まさに現在進行であったので、描写はとても迫真的。昭和20年上半期に集中した空襲で町が変貌してしまうことに驚く。

高木家の惨劇 1947.05 ・・・ 戦後残された洋館の高木家。どの代でも問題児のでてくる名門一族。その現在の当主・孝年がピストルで射殺された。彼のDVと吝嗇は周囲の者の憎悪を買っていた。ことに、妹の勝枝、息子の吾郎、いとこの大沢為三、甥の丹羽昇のいずれにも動機はあった。とはいえ、全員が殺害時刻にアリバイをもっている。なかでも陰険な息子・吾郎はカフェでの奇矯なふるまいを加賀美課長が目撃しているほどであった。のちに射殺現場には孝年が設置したと思われる射殺装置が発見され、それが使用された節がある。奇妙なのはピストルの向きはベッドの死体の位置からずれていること。そして丹羽が殺され、事件はさらに不可解さを増す。というサマリーを書くと退屈このうえない。ベッドの射殺装置に、いたるところにでてくる蜘蛛に、家族間の露骨な憎悪など、敗戦後の東京の雰囲気と一線を画すノスタルジックで非日本的な風景が描かれる(まあそういう現実逃避の読者の欲望が反映されたとみていい)。しかし、「名作」とされるゆえんは別のところにある。すなわち、形容詞や比喩の少ない短いたたみかけるような文章。頻出する体言止めと現在時制。短い思考に、行動であらわされる心理描写(課長のいらいらはタバコの欲求として描かれる)。この文体は新しい。アメリカではハードボイルドとして確立された文体であるが、この国では極めて初期のものではないか。物語と意匠の古風さと文体の斬新さが同居している奇妙な作品。

沼垂の女 1954 ・・・ 雑誌「宝石」乱歩還暦特集号(乱歩が編集長)に収録。新潟県の沼垂(ぬったり)で出会った、奇妙な女の話。嘘しか言わない(と思われた)美しい女に宿を借りたときのこと。現代版雪女。

悪魔のような女 1956.12 ・・・ 神父に懺悔する若い肺病やみの女。犯罪に性的快感を覚え、男を誘惑して、犯罪を起こさせる。恋敵を自殺と見せかけて殺したことを告白。そして凶器に使ったストーブを神父に見せる。懺悔でさえも他人を思うままに動かそうとする、そのエゴイズムが「悪魔」か。

笛吹けば人が死ぬ 1957.09 ・・・ 「笛吹けば人が死ぬよ」と投書してきた不良娘。手配中の悪党の行方を知っているというので、湘南の海岸に警部と記者が赴く。二人はボートにのって沖へ。言い争いの後二人は転落。娘は救助できたが、男は行方不明。翌日、水死体で発見。不良娘は「笛を吹いたのはあたし」とうそぶく。死体の様子を見て、警部は疑惑がわく。不良娘の口ぶりはモダン(外見とは裏腹にしっかりした貞操概念や両親への忠をもっているというのは古風)。


 物語とトリックの古風さ(坂口安吾が「日本の探偵小説の欠点の一つは殺し方の複雑さを狙いすぎることだろう@蝶々殺人事件について」といっているのが、そのままあてはまるような作品が収録されている)。加えて「なぞのために人間性を不当にゆがめている(@坂口安吾「蝶々殺人事件について」)のも目につくところ。21世紀に謎解きや犯人あてを目的に読むのはなかなかしんどかった。
 一方で、「高木家の惨劇」でレビューを書いたように、文章と文体はとてもモダン。これは新しい。敗戦直後には、坂口安吾ほかが新しい文体と思考の小説を書いたが、それと同時並行でおきた文体変革であったとおもう。ここには瞠目するところがある。おかげで、ハードボイルドの文章で「オトラントの城」のようなゴシックロマンスを読むというミスマッチをよむことになった。あいにく、敗戦後処理が終わると、この文体の変革は影を潜み、あとの短編では元に戻ってしまった。
(この考えをさらに進めると、占領期日本の文体変革に着目するべきなのだろうなあ。純文学だけではなく(デビュー時の野間宏吉本隆明の文体の「新しさ」はいろいろ書かれている)、エンターテインメント小説などで。もう、そういう研究をする気合と根性は残っていないが。)


<参考エントリー>
角田喜久雄「妖棋伝」(春陽文庫)
角田喜久雄「奇蹟のボレロ」(春陽文庫) 


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