odd_hatchの読書ノート

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ラフカディオ・ハーン「怪談・奇談」(講談社学術文庫)-2  日本を舞台にしたゴシックロマンス(2)

2019/09/16 ラフカディオ・ハーン「怪談・奇談」(講談社学術文庫)-1 1900年の続き。

 

 引き続き小説。本書にはハーンの話のもとになった原典も収録されている。解説によるとハーンは日本語を読めなかったので、節子夫人や友人などの語りを聞いて、それを英語の表現にした。その際、ハーンは原典にあたることを戒め、彼らが自分の語りになるように覚えることを要求した。ハーンの小説は原典の翻訳ではない。原典とは多くの異同があり、かつハーンが加えた表現もある。ハーンが書いた怪談や奇談がそっくり日本のものと考えてはならない。
(そういうハーンの研究は行われているだろうが、そこまで参照しない。)
 ★印をつけたのは、1965年公開の小林正樹監督の映画「怪談」に使われたもの。武満徹の音楽が良い。

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閻魔の庁で ・・・ 「日本霊異記」から。疫病神が死ぬはずの娘も身代わりを認めたが、閻魔大王はそれを認めなかった。

果心居士の話 ・・・ 戦国時代、果心居士が地獄絵を見せて仏事を説明している。信長はその絵を欲しがったが、居士の言い値にいい顔をしなかった。そこで荒川という家来が手柄を立てようと居士を殺して絵を盗んだが、何も書かれていなかった。生き返った居士はいろいろあって、光秀の前で襖絵の中に消える。

梅津忠兵衛 ・・・ 深夜、道を歩いているとき、女に幼児の世話を頼まれる。幼児はどんどん重くなり、ついに持てなくなりそうなとき、梅津は教を唱えた。女は帰ってきて礼を言う。

夢応の鯉魚(りぎょ) ・・・ 魚の絵をかくのがうまい僧・興義は決して魚を食べなかった。あるとき人事不省になり、死んだかと思われたのち、蘇生した。その夢の話を友人らに語る。上田秋成「卯月物語」にある話。

幽霊滝の伝説 ・・・ 幽霊話に講じる娘たち、深夜に幽霊滝に行ったら麻を上げると言い出す。子供2歳を連れたお勝が賭けにのることにした。滝につくと呼び止める声がする。シューベルト「魔王」のような結末。

★茶碗の話 ・・・ 茶碗の中に知らない武士の顔がのぞく。そのまま椀の中身を飲み干すと、武士が危害を受けたと言いがかりをつけてきた。話は結末がない。作者はそれを嘆く。

常識 ・・・ 向学の僧、猟師に普賢菩薩が見えるようになったので見せてやろうと誘う。深夜、菩薩のありがたい姿が現れた時、猟師はなんと矢を放つ。無学な猟師の論理的な推理。

生霊 ・・・ 瀬戸物屋の主人が若い才覚ある男を雇う。見込み通りであったが、若い男は生霊にたたられて、もうすぐ死ぬという。

お亀の話 ・・・ 若くして死んだ妻は夫に再婚しないと誓えと言い残す。その通りにした夫は衰弱していくので、寺の僧の助言で墓を開けることにした。「「破られた約束」との違い。「お貞の話」「宿世(すくせ)の恋」との違い。なんで因果をもって夭逝するのは女ばかりなのか。

蠅の話 ・・・ 女中の玉は両親の供養のために節約している。ようやく金ができて墓を作ったら、玉は死んでしまった。以来、大きな蠅が主人の周りを飛び回る。なんの伝言か。

忠五郎の話 ・・・ 夜ごと屋敷を抜け出す足軽、忠五郎。日に日にやつれるのでわけを聞く。「宿世(すくせ)の恋」や「耳なし芳一の話」の変奏。蛙が登場するのが珍しい。岡本綺堂「青蛙神」@妖術伝奇集を参考に。

鏡の少女 ・・・ 干ばつの年、松村は不吉な伝えのある井戸の周りに家を建てる。水は枯れなかったが、あるとき美女が松村に井戸をさらえと懇願する。底には古い鏡があった。時代は室町の中頃で、因果は奈良より前の時代の百済に始まる。

伊藤則資(のりすけ)の話 ・・・ 貧しい武士の伊藤則資が旅に出ているとき、美しい少女に誘われ、静かな村の大きな屋敷に招かれる。そこで平重衡の娘との婚約が決まる。次回会えるのは10年後。則資は次第に弱まり、10年後のその日、息絶える。霊との契約を遵守した男。ほとんど西洋中世の騎士に等しい。

 

 似たような状況の話が多くて、ハーンの趣味が反映していそう。すなわち天狗や魔物や悪霊がでてくることはめったになくて、死者の妄念や妄執が現世に現れるというもの。多くは男女の愛や憎悪。

 

 以下はエッセイと創作。

美は記憶なり ・・・ タイトルの主張を論じる。美それ自体はないというのはロマン主義では珍しい(と思う)。美を論じるのに、エーテルや進化など当時の最新科学の知見や、エジプト学を使うのも目新しい。美学を哲学だけで論じることができなくなった時代。

美の悲哀 ・・・ 美を感じるとき悲哀の感情を抱く。19世紀のロマン主義は憂鬱が主題。

薄明の認識 ・・・ 薄明、夜、夢、恐怖、不安、怪物、幻等ここに現れる言葉もまたロマン主義が好んだもの。途中の西インド諸島での体験談はポーの怪奇小説に似ている。自然や異者の恐怖よりも恐怖のさなかにある心理を描写することが大事。

破片 ・・・ 菩薩に伴われて山を登る男。あるところまできて足がすくむ。ここは髑髏の山だと叫ぶと、菩薩は啓示を与える。汝自らを知れ。

振袖 ・・・ 振袖火事のゆえんを説く。

夜光るもの ・・・ 夜光るものを見、ある啓示を聞く。うーん、観念的で想像力に乏しいな。同じような主題だと、リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」のほうがすごい。

ゴシックの恐怖 ・・・ 「ゴシックの恐怖とは、恐ろしい動きの恐怖」(P326)

 

 解説にはこれらのエッセイがいつ書かれたのか説明がない。これは困ったものだ。自分の妄想では「振袖」を除いて、来日前に書かれたものだろうと思う。サマリーに意見を加えたように、後期ロマン主義にどっぷりとつかっていながら、科学に影響されているのが興味深い。当時の博物学天文学、物理学、進化論などの科学に、ヘッケルやフンボルトの科学哲学などをハーンは知っていたと思う。それくらいに、科学と科学哲学は知識人層に流行っていた。さらに科学的ペシミズムも同様の影響があったと思う。(イギリスの怪談や探偵小説は無意識をそれこそ無意識に発見していたが、ハーンにはそれが見られない。怪奇の背後に死者や菩薩の意思を読み取るから、生きている者には謎がないのだ。調査や推理の対象外になる。)
 あわせて19世紀後半は怪談や犯罪文学が流行ってもいた。あまりイギリスの怪奇小説は読んでいないが、ハーンは主流の怪談からは離れた書き手だったと思うし、一方で幻想文学の書き手としては想像力に不足していたとも思う。原典があって、それに解釈を加えた怪談や奇談は面白いが、創作になると凡庸。

 

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