odd_hatchの読書ノート

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荒畑寒村「寒村自伝 下」(岩波文庫)-1

2019/10/21 荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-1 1975年
2019/10/18 荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-2 1975年

 


 下巻の前半は寒村40代。東奔西走の日々。眼はますますさえ、日本共産党社会主義団体、コミンテルンソ連共産党のおかしなところにいち早く気付く。

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第一次共産党結成の内情 ・・・ 1922年の結党の様子。当時の活動家は20-30代。官憲の弾圧は厳しく、すぐに拘禁される。そのせいか結党にかかわったものにはずいぶんいい加減なものがいたらしい。大杉も含めて横領が頻発していた。荒畑は書記になる。一度上海に旅行。第4回コミンテルン大会に合わせての極秘旅行。


チタ滞在の八日間 ・・・ 1923年。ソ連への長期旅行を敢行。国内旅行にみせかけて上海に行き、北京経由でハルピンにはいる。そこでソ連共産党の手引きによるそりで国境を越え、シベリア鉄道に。途中、バイカル湖手前のチタにとどまる。そこの旅館には片山潜他日本の「同志」のサインを多数見つける。あるいは右翼がスパイ容疑で捕まったので事情聴取を頼まれたりする。


シベリア鉄道旅行記 ・・・ チタからモスクワまでの1週間の汽車旅行。通訳や同室の人たちとの交流。ことばが通じなくてもどうにかなる著者のノンシャランと、受け入れる人びと。


歴史的な三大集会 ・・・ 4月のロシア共産党第12回大会、メーデー、対英デモンストレーションを見学。党大会では、スターリンジノヴィエフカーメネフカリーニントロツキー、ラデック、ジェルジンスキーの演説を聞く。トロツキーの火を噴くような激しさ、スターリンの無味平坦。レーニンは不在。ジョージア(旧グルジア)でのスターリンの陰謀、レーニンの書簡などを戦後知る。(これらの歴史的な人物と同席した日本人がいたことに驚いた。荒畑の目にはメーデー他の壮麗さが映るのだが、政治的寝技は表面にはでてこない。なので、見過ごされる。)


モスクワの見聞 ・・・ モスクワの街並みに驚き、モスクワの労働者に驚き、モスクワの文化事業に驚き、モスクワにいる政治家や各国のジャーナリストなどに驚く。(モスクワが一種の劇場都市になっていたのだろうし、レーニン存命中で革命の息吹が残っていたのだろう。戦後に書いたものなので、出会った人々が30年代に粛清されたことを知り悼む。荒畑はロシア文化摂取のためにオペラ、バレエ、芝居を見て、美術館を見学する。ボリショイ劇場では自国物いがいに「ローエングリーン」「ペトルーシュカ」が上演されていた。これは驚き。あとモスクワにいた70歳越えの片山潜日本共産党の組織を過大に報告していたので、コミンテルンの指令が実情にあわないものになったという。過大報告の理由はひとりぼっちの自分をおおきくみせるためだったとか。)


同志の検挙と大震災 ・・・ 6月にコミンテルン拡大執行委員が予定されていたが、日本共産党検挙のほうが届く。急遽帰国することにしてウラジオストックにとどまる。そこに関東大震災の報。英国の汽船にのり上海に行く。検挙された党員と妻の無事、大杉栄虐殺の報を聞く。大杉が拉致される前日、荒畑家を見舞いに大杉の妻が訪問したそう。荒畑の妻があいさつした翌日、虐殺された。(大逆事件大杉栄虐殺事件の関係者になりかねないところを無事であり続ける荒畑の運の強さ)

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第一次共産党の解散 ・・・ 検挙された党員が釈放されて、解党論がでる。荒畑は反対したが、大会も開けずずるずると解党。コミンテルンの報告に上海に行ったが、体調不良で帰国。大正15年1925年に禁固10月で下獄する。そのころから福本イズムがでて、元党員らで論争が始まる。
共産党結党の関係者がいうように、当時の共産党は個々の共産主義者の集まりで、大衆組織を持っていなかった。それに就職している人は少なく、文人や自営業で食っていた。なので大衆運動や労働運動を組織・指導できない。おのずとパンフやビラ配布などの地下運動になってしまい、理論好きの議論好きはセクト主義に走る。党内のいさかいを調整できる重鎮はいないし(山川、堺も距離を置く)、内部にいるごろつきを摘発排除できない。コミンテルンとの関係も途絶え、資金が枯渇する。そういう状況。警察や特高の厳しい弾圧を知らないので、論評はしない。おこがましいので。)

 

 ここ(1926年)に至って寒村40歳。股間に白髪を見出し、愕然とするのである。

 

2019/10/15 荒畑寒村「寒村自伝 下」(岩波文庫)-2 1975年に続く