odd_hatchの読書ノート

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レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-2 社会に背を向ける行為は、全体主義やファシズムに取り込まれることになる。この評論はその区別を読者は付けられるかの試金石になりそう。

2019/11/22 レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1 1903年の続き

 

 続いて後半の論文。

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ニーチェ ・・・ ニーチェもまたドスト氏と同じく苦悩と罪人を考えた人。その思想の経歴には似たところがある。ドスト氏のシベリア流刑のように、ニーチェは師であるワーグナーショーペンハウエルと決別した。彼らの影響下にあった「悲劇の誕生」を否定し、「人間的な、あまりに人間的な」によって二人の師を批判する。この転回から孤独と懐疑の内にあり、諸観念の代わりに「無」を見ることになった(あと、訣別後に現れた病気や神経症、不眠が関係している)。
(俺はニーチェをそれなりに読んだが、シェストフが注目するような「生」の哲学には全く興味をもてなかった。「永劫回帰」もよくわからない。俺にとってニーチェは、形而上学の批判者、近代の批判者であることが重要(なので「権力への意志」が面白かった。激烈なソクラテス批判の「偶像の薄明」も)。ワーグナーに関心のあったところから、音楽批評の文章も好んだ(「人間的な、あまりに人間的な」「ワーグナーの場合」「ニーチェヴァーグナー」)。
 でも、哲学は俺には合わないと判断して、ニーチェの本は処分した。その結果、高校時代に買った、色あせたニーチェの本が書棚から消えたら、部屋がいきなり明るくなるように思えた。気分が軽くなったのだろうな。それ以来、ニーチェには無縁なので、この論文はとても退屈だった。後半は全部すっとばしました。ニーチェの章だけ阿部六郎(阿部次郎@「三太郎の日記」の弟)の翻訳だったのが、合わない理由のひとつかも。この人の翻訳だと文意をとれない、という責任転嫁。)

虚無からの想像(チエホフ論) 1908 ・・・ 1904年に44歳で亡くなったチェホフの作品と作家論。自分はほとんど読んでいないので、骨子だけ。チェホフは絶望の詩人で、テーマは罪悪。チェホフの人物は、免れない死・解体・腐敗・絶望などの解決できない問題に引き付けられ、哲学や理想主義を馬鹿にし、孤独や絶望を感じていて何もできないし他人も助力できないと思っている。なので現実を受け入れることも拒否することもできず、床や壁に頭を打ち付けるしかない。他人に助力を壊れても言えるのは「わたしにはわからない」。そういう寄生的人物。なのだそうだ。チェホフとその人物たちは、絶望・孤独という「虚無」にいてそこからなにかしようとするので、評論のタイトルがついた。
(わずかに読んだのが、探偵小説のパロディ「安全マッチ」だけで、この小品では明るいのだがねえ。)

 

 シェストフの方法は、1.作家論の形式化(初期に依拠した理想や思想に懐疑を持ち、展開する重大な出来事があり、その後は構築するのではなく解体するような仕事になる)、2.内面や心理の重視(哲学や理想主義を重視しない)、3.社会状況を無視、あたり。シェストフにかぶれた人はこれを他の作家にも適用しようとした。たとえば、夏目漱石の転換点を修善寺の大患に見て、前後で思想の変化があるというような。まあ、作家の生涯は様々で、そういう転換点のない人が大半であるから、シェストフの方法だけ真似してもだめだということになる。
 社会状況の無視もまた困ったことで、たとえば19世紀後半は科学的なペシミズムが流行った時代(太陽や地球に終わりがある、宇宙のほとんどは真空、宇宙は熱的死を迎える、など)であった。あるいは生気論も流行って、生命に宇宙的目的があるなどのオカルトと紙一重の生物哲学があった。ヨーロッパの領域内で帝国主義国家間の戦争があり、とくに英ロの対立、プロシャの新興が脅威であったなど、社会不安の時代であった。労働組合運動や社会主義運動がおきて、都市は不安であった(数度のパリ革命など)。そのような背景があって、ドスト氏やニーチェ、チェホフの不安や懐疑が生まれ、深刻になったと思うのだが、そこらを捨象して個人の内面の問題に還元するのはどうかと思う。
 この論に影響された人たちへになるが、思想や理想に裏切られたと感じ、社会のありかたに絶望を持って、自分は孤独でなにごともなすことはできないと思い込む「地下室」の人や壁に頭を打ち付ける人の在り方は、カッコ悪い。みっともない、だらしない。ここは重要。社会変革や思想に期待しないのは勝手だが、それを吹聴したり他人を軽蔑・冷笑するのはやめてくれ。こういう「地下室」の人は、

「理想主義に闘うには軽蔑によらねばならない(P272)」

を実践するのだろうが、ファシズム軍国主義の理想主義には無効です(やつらは軽蔑を理解できないし、おのれを恥じることがない)。
 それに「地下室」の人や壁に頭を打ち付ける人からは社会の共通善、公共善という考えが出てこない。せめて人間らしくを要求するが、そのエゴイズムの結果が犯罪や他人の権利の侵害であるとすると(ドスト氏の犯罪者や自殺者たちを思い出せ、チェホフの人物でも犯罪を犯す人多数との指摘あり)、彼らの行為をそのまま無条件で受け入れるわけにもいかない。哲学と理想(と科学)に背を向け、社会に軽蔑と冷笑を浴びせるものの内面は文学の表現にはよいだろうが(ドスト氏くらいになると圧倒される)、それを社会や生活や表現に持ち出すのは困ったもの。社会に背を向ける行為は、全体主義ファシズムに取り込まれることになる。この評論はその区別を読者は付けられるかの試金石になりそう。さすがに21世紀に読み直すほどの重要さや切実さはなくなりました。
(とはいえ、シェストフのドスト氏の作品と人物の分析は面白かったし、参考になりました。)


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