odd_hatchの読書ノート

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レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-1

  レフ・シェストフ(1866年2月12日(ユリウス暦1月31日)- 1938年11月19日)はロシア出身、ドイツに住んだ哲学者、文芸評論家。本書によるドストエフスキー読解は戦前の若者に大きな影響を与えたという。そういう歴史的な古典を、古本屋で河上徹太郎訳の文庫で手に入れたので、読む。

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序 ・・・ はなはだ要領を得ない文章。ドイツ観念論の系譜はこんなに無内容な文章を書くものなの? 「悲劇の哲学」のさすものは何かわからないが、哲学は科学(と同じ客観性をもつ)となり、自己変容を目標にしている一元論。芸術家の無意識的創造(の方法)を観念化しよう、そんな感じ(哲学と科学を一緒にする一元論を構想したのは同時期のエルンスト・ヘッケルもだった。当時のはやりだったのか?)。気になったのは、健康-病気、正常-異常、天才-狂気の二分法があること。ニーチェも好んだこの二項対立は当時(19世紀末)の流行りだったのかな。

ドストエフスキー ・・・ 図式的にこの論文をまとめてみる。1840年代にプーシキンゴーゴリネクラーソフ(彼らはロシア文学を立ち上げた最初の世代)の亜流としてドスト氏は作家になった。楽観主義で現実を皮肉ったり、感傷的な物語を書いたり。1850年代にシベリア流刑になって、考えが激変。それまでに依拠していた西洋・ヨーロッパ(文学、科学、自由主義、理性と良識、善と悪、「水晶宮」など)を一切信じられなくなる。さらに収監されていたことによる屈辱、辱められ虐げられている人々の存在と彼ら実情を知るに及び、「地下室」の思想を構想する。すなわちヨーロッパ的なもの・ことへのほぼ全面的な否定、せめて人間らしくあれという人間の尊厳の尊重(ただし人権の確立には無関心)、理性よりも心理(というより屈辱から生じた信念や信仰)の強調、孤独な人格を囲む「壁」との格闘。テーマはエゴイズム。地下室にいることで、孤独に引きこもることで社会の問題(隣人、人類、文明、俺が加えると社会と倫理)の問題から解放されて(引き受けなくてもいいことにして)、孤独な人格の問題を取り上げることに専心する。ここらの変化はペテルブルグ帰還後の「死の家の記録」「虐げられた人々」「地下室の手記」で熟成され、後期長編に結実する。なるほど、ドスト氏の「地下室」の思想は社会や信仰の悪を告発するには優れた方法。様々な罪びとを摘出し、表現し、彼らを裁断することに極めて優れた手腕を発揮する。でも、悪や悲劇を描いたのちの後の物語を作ることができない。「罪と罰」が終わったところから、「大審問官」が終わったところから始まる希望や更生をかけなかった。それはドスト氏が「何をなすべきか@チェルヌイシェフスキー」の問題に身を投じないから。「地下室」の住人は社会投企(アンガージュマン)する契機をもたないから。というのも、社会を断罪する罪びと(ラスコーリニコフやイワンや大審問官など:いずれも無神論者の系譜にある人で、ドスト氏は無神論者を罰する)は、自分が真実を持っていると思うが民衆はそれを知る必要を感じず、民衆と乖離しているうえに、彼らが民衆の教師になろうとすると何も言うことがない、指導や啓発することができない。それでいて彼ら罪びとは人道の功労者であると自認している。そのような矛盾を解消できずにいて、ときに自覚しているのか民衆の不幸をなくすために恐怖・苦痛・戦争を認めてしまう。これらが「地下室」の住人の「悲劇(タイトル)」に他ならない。
1903年に書かれたもので、古すぎると思ったが、そうでもなかった。途中にトルストイ論が長く挿入されたり、カントの「物自体」などのドイツ哲学の話が出てくるのはご愛敬。そこらは適当にすっとばしました。いろいろ啓発されるところがあって、「地下室」の思想が図式化されていて、なるほどと思いました。シベリア流刑体験は、死刑宣告からの帰還という特異な事件にあるのではなく、ヨーロッパ的なもの・ことの否定であるというのは自分もそう考えていたので納得(本書を10年前に読んでいたので記憶が残っていたのかもしれないが)。「地下生活者の手記」「夏象冬記」でみられる「自由・平等・世界同胞(米川正夫訳)」の無理解や科学と資本主義の批判がでてくるところがそれ。都市のエリートが監獄にいって、社会のさまざまな階層にもみくちゃにされ、自分が無視され孤独になるという経験のうちに、若い時につけた流行思想に対する批判者になった。そういう「転向」はよく見られること。それは継続していて、知識人と大衆、エリートと民衆の二項対立はのちまで続く。とくに「大審問官」の知識人批判のところにあるというシェストフの分析は説得的。シェストフの時代をみると、労働運動・共産主義運動の高揚で、まさにそれが問題にされていたのだし。
 あと、ロシアという非西洋が西洋にどう見られていたかも重要。1840年代はロシアは西洋の投資先(商人シュリーマンの事業先)で、ロシアは西洋の科学や技術の吸収につとめていたが、ドスト氏が娑婆に戻ってきた1860年代にはロシアとトルコの戦争が西洋の非難を浴び、ロシア人がヨーロッパで嫌悪されていた(「賭博者」にみられる)。これもまたドスト氏のものの見方に影響をあたえ、コスモポリタニズムからナショナリズムに傾斜していたとみていい。さらに封建国家、絶対王政国家に対抗するとき、ヒューマニズムナショナリズムは手を携えるから、人間の尊厳の尊重と国家主義は両立する。ドスト氏の考えが近代国家にいるものからは奇妙に見えるのも不思議ではない。
 昭和の戦前時代に本書は、ドスト氏読みの若者に熱狂的に受け入れられたという。「シェストフ的不安」という言葉も流行ったとか。その読みがよくわからないのは、本書では孤独や焦燥、限界状況などの実存哲学のような議論はほとんどされていないこと。ドスト氏の「地下室」はみずから引きこもり社会に背を向けているのであって、国家の弾圧や社会の差別にあっているわけではない(「地下生活者の手記」やラスコーリニコフ罪と罰など)。理想と希望を喪失した(と思い込んでいる)のも自らの意思にある。なので、戦前の若者の読みはよくわからない。手元に河出文芸読本「ドストエフスキー」1972年があるけど、収録されている論文がほぼそういう読みのようなので、読む気が起きないのだよなあ(追記。読んだ)。忖度すれば、1930年代の軍国主義で、世の中が西洋批判になり、「近代の超克」などがいわれていた時に、ドスト氏のヨーロッパ嫌いに共感したのではないか、と。)

    

2019/11/21 レフ・シェストフ「悲劇の哲学」(新潮文庫)-2 1903年に続く