個人雑誌としての「作家の日記」。1877年夏ごろに、ドスト氏は体調不良を覚え、同年内の中止を決める。最終号では翌年から長編の連載を開始すると予告していたが、実際は1879年から開始された(「カラマーゾフの兄弟」)。
「作家の日記」を発行するにあたって、ドスト氏は文芸時評や作家・作品論は掲載しないというルールを作ったという。なるほど1876年の号でジョルジェ・サンドがでてくるくらいだった。この1877年下半期では、禁を破って最新刊のトルストイ「アンナ・カレーニナ」評とネクラーソフへの弔辞が書かれる。膨大な言葉が使われているが、あいにく論や評として読むに足るものではない。前者では主人公レーヴィンのトルコへの態度が問題にされるばかりで、後者ではドスト氏の民衆感が開陳されるだけ。これらを読んでも、作品の参考にはなるまい。残念。
ドスト氏が気にしていた事件(妊娠中の若い継母がDVを繰り返す夫への面当てに、継子を窓から放り捨てたというもの。事件前にしばしば継母は継子をせっかんしていた)が結審。継母はドスト氏らの努力があって無罪になったという。これも現代の感覚でいえば有罪だろうし、夫のDVは訴追されたであろう。ドスト氏の弁護もアクロバティックなもので、なかなか受け入れがたい。自分としては、この経験が「カラマーゾフの兄弟」第4編のミーチャの裁判シーンに反映されたというのを想像するくらいしか感想はない。
露土戦争はロシアが優勢で、12月ころには講和のうわさもでていた。ドスト氏はロシアの「勝利」を喜ぶ。
ここの記述を見ると、19世紀半ばのロシアの改革(大きなもののは農奴解放令)が成功し、国力が高まったことの帰結であるようだ。そこでナショナリズムが生まれて、都市のインテリが高揚している感じ。それはチェルヌイシェフスキーのような社会主義者もおなじだったのかな。面白いのは、社会主義者はミールやほかの村落共同体にナショナリズムをみたが、愛国主義者のドスト氏は共同体にはほとんど興味を示さずいきなり「私」と国家が結びついてしまう。ここらのナショナリズムの表れの違い(左翼もナショナリズムを持っている)は興味深いが、ドスト氏をサンプルに考えるのは止めよう。
下半期には創作はなかった。
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「作家の日記」はとても売れた雑誌になった。初回から2000人の読者がつき、1877年に休刊を申し出るころには7-8000部の予約読者がいた。これは異例な数。それ以前に、ドスト氏は自作の全集を発行して、成功を収めていた。これらがあいまって、1870年代のドスト氏は経済的には安定していた(トルストイやツルゲーネフほど高い稿料をもらえなかったのが不満だったらしい)。
そのうえ、ドスト氏に若い読者(ナロードニキの運動があるころに)の支持を受けるようになる。彼の保守主義がある程度の支持を得ていたのだ。これは意外。