odd_hatchの読書ノート

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デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-1

  イギリスの小説はリアリズムの伝統がある(例えばほとんどの探偵小説)が、一方で幻想を志向し、この世ならぬものへのヴィジョンを物語る系譜もある。このファンタジーの系譜は英国文学史にはあまり重要に扱われないが、少数の愛好家により広められ、この国でも翻訳がでている。時間をかけると、かなりな数の小説を入手し、読むことができる。自分も貧しいながらさまざまに読んできた。
 では自分は熱心な英国幻想小説の読み手であるかというとそうではなく、手を出してみたものの完読できずに断念した小説が多数ある。たいていの小説はつまらなくとも完読するものであるが、英国幻想小説には自分の登攀を拒んだものがある。いっぽう、完読できたもののいくつかは鮮明な記憶がいつまでも残り強く擁護するものになっている。自分にしか意味のないリストだが、あげてみるか。「オトラントの城」「フランケンシュタイン」「ジキル博士とハイド氏」「吸血鬼ドラキュラ」「不思議の国のアリス」などの有名作は除く。
完読して感動: マーヴィン・ピークゴーメンガースト」三部作、エディスン「ウロボロス」、ダンセイニ「影の国物語」「魔法使いの弟子」、チェスタトン「木曜の男」
完読できずに挫折: ジョージ・マクドナルド「リリス」、ポーイス「モーウィン」、マッケン「夢の丘」、ダンセイニ「妖精族のむすめ」、トールキン指輪物語」、オールディス「マラキア・タペストリ
 なんとも貧しいリスト。ともあれ、好悪ないしあうあわないが明確に分かれるジャンルは自分には珍しい。
 さて、ここにデイヴィッド・リンゼイアルクトゥールスへの旅」1920年がある。これは自分のなかでは評価しずらい一冊。大学2年冬の19歳で読んで圧倒されたが、何が起きているのかさっぱりわからなかった。好きなのか嫌いなのか、あっているのかあわなかったのかわからないまま、本棚に放置していた。
 それから数十年ぶりの再読。事前にコリン・ウィルソンデイヴィッド・リンゼイ論「不思議な天才」(「憑かれた女」@サンリオSF文庫所収)で予習してから読んだ。あわせて、章ごとにメモをとっておいた。では行ってみようかGO!

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降霊術の会 ・・・ フォール家で霊媒バックハウスを招いて降霊術の会を開く。招待客にマスカル(大男)とナイトスポー(中背)。霊媒が呼び出した霊が、闖入者(あとでクラッグとわかる)に首を捻じ曲げられる。高貴な表情が下品で卑しいけだもののような薄笑いの表情に変わる(これはのちに繰り返されるので、覚えておくこと)。

路上で ・・・ クラッグは霊の薄笑いを「クリスタルマンの表情」といい、スタークネスン天文台からトーマンス惑星(アルクトゥールス星系)に行くという。マスカルはその話に乗り、ナイトスポーもつきあうことにする。クラッグのレンズ(重さ9kg)でアルクトゥールスを覗く。

スタークネス ・・・ 二日後、マスカルとナイトスポーは天文台にいく。閉鎖されて無人。窓を壊して中に入ると、「太陽逆光線」「アルクトゥールス逆光線」のラベルのついた酒瓶4本がある。一本が転がると消える。マスカルは塔を登ろうとするが、めまいで途中で断念。

声 ・・・ クラッグが来ないので、ナイトスポーといっしょにソルジーの割れ目(という断崖)にいく。太鼓のなるような音(これものちに繰り返されるので、覚えておくこと)。日暮れて帰ると、マスカルひとりで塔を登る。3人をかついでいるような重さ。「ナイトスポーが目覚めたとき、おまえは死なねばならない」という予言の声を聞く。

出発の夜 ・・・ クラッグが遅れてくる。マスカルは塔に登るのを躊躇(ナイトスポーは「トーマンスの重力」のせいという)。クラッグが二人の腕をナイフで切ると、マスカルは上ることができる。魚雷型宇宙船にのると、バグパイプに似た叫び声が聞こえる。クラッグのいうようにマスカルは旅の途中眠ってしまう。

ジョイウィンド ・・・ マスカルは砂の上で目を覚ます。体が重く、しびれるような痛みを感じる。額にこぶ(ブリーブ:互いに考えていることを読み取る)、耳の下にこぶ(ポイグンズ:生き物を理解して共感する)、心臓から触手(マグン:ふれることで愛を増幅する)ができている。夜明けになり、細身の女性(ジョイウィンド)がくる。マスカルの様子を聞いて、互いに腕を切り傷口をあわせて血液を交換する。マスカルは元気に、ジョイウィンドはやつれる(「マスカルの血は濁っていて汚れている」)。シェイピングまたはクリスタルマンの神に、マスカルのことを祈り、彼女たちはクラッグすなわち悪魔と闘っているという。平原を歩き、空中に消える泉で水を飲む。マスカルの感覚が鋭敏になり、さまざまな色を見分けられるようになる。

パンオウ ・・・ ジョイウィンドの夫であるパンオウと会う。マスカルは「(地球の)卑俗さにうんざりした」とこの星に来た理由を説明。沼地のような湖の水を上を歩いて渡る。湖からは太鼓のリズム(「現実そのもののかすかなこだま」)が聞こえる。パンオウは口から水晶のような「美」を取り出し、しばらく眺めた後湖に捨てる。ここには性質のちがう2つの太陽がマスカルを引っ張り合うという。パンオウの物語。昔スローフォークという知者にあい、快楽より苦痛が、苦痛より愛が、愛より無が偉大であると答えた。快楽はシェイピングの世界、その他は別の何者かの世界といったのち、スローフォークは断崖を飛び降り自殺した。

リュージョン平原 ・・・ マスカルは二人と別れる(とても冷やかに)。平原の途中でサーターが現れ、「この世界に君を読んだのはわたしに使えるため。きみはわたしの召使、助け人」という。姿を消し、ラッパの音がする。別の女性(オウシアックス)と合う。この先に進むにはマスカルの体ではだめ、発光石(ドルード)を自分の器官に押し当てろという。マグンは触手から腕に、ブリーブは眼(ソーブ)になり、オウシアックスと同じようになる。

オウシアックス ・・・ オウシアックスは動物の毛皮をまとい、別の生き物(湖でとった魚)を食べる。人肉のような味。マスカルは彼女の家に行くことにする。彼女はソーブの力でシュロークという鳥を飼いならし、二人で乗って平原を飛ぶ。途中、突然地面が隆起し、地滑りや地震が起きる。ここではよくあること。オウシアックスの住まいにはサチュールという植物人(地面に根を張り、絵でに葉を茂らせる)がいる。サチュールの命令する若者(クルムタイフォン)がマスカルに罰を与えるというとマスカルは逆襲。首を絞めると死んで、にたにた笑いを浮かべる。オウシアックスは平然としている。


 最初の章こそ読者の物理現実と連続した世界であるようだ。イギリスの知られた地名がでて、よくある名前の人物がいる。そのひとりが、マスカルとナイトスポーという聞きなれない人物を連れてくるところから怪しくなってくる。マスク(仮面)とスカル(骸骨)の合成語であるマスカル、ナイト(夜)とスポー(胞子)の合体語であるナイトスポーというありえない名前の人物。まるで、実写のフィルムにアニメかCGで合成された虚構の世界の人物が同席しているよう。(その点で、自分は埴谷雄高「死霊」第9章を思い出す。そこには三輪高志、津田安寿子、首猛夫らの「現実」の人物のところに、虚体の住民らしい「黒服」「青服」の男が現れる。)
 21世紀に現実と虚構の人物が交差するのは珍しくもないが、100年前(1920年)の小説を読む際には、もっと昔の様式で考えた方がよい。たとえば、ルネサンスバロックのオペラには「嫉妬」「権力」「疑惑」「正義」「美」などの観念が擬人化されて登場し、神話の人物(オルフェオとかウリッセ(ユリシーズ)とか)と会話したりする。そこでは具体的人間の生き方が問題にされて、擬人化された観念は彼らの批評や同情などを喚起する役割をもっていた。でも、このリンゼイ「アルクトゥールスへの旅」では擬人化された観念の方が主人公になる。なので、マスカル、そして旅で出会うトーマンスの星の住民たちは姿かたちはあるいは会話は現実の人物に近いが(6章にあるように新しい器官を供えている)、読者の物理現実にいるような人間の「人間らしい」感情や反応や行動を期待してはならない。マスカルは出会う人物を次々と殺し、ときに吸収してしまうのだが、物理現実の「殺人」ではなく、観念同士の相克、闘争、弁証法が描かれているのだと考えた方がよい。

 

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2020/04/03 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-3 1920年
2020/04/02 デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-4 1920年
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