odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

H・G・ウェルズ「タイム・マシン」(旺文社文庫)

 旺文社文庫版。角川文庫の収録作品と一部重複。すでになくなってしまった旺文社文庫は訳者などによる解説が充実していた。当時の若手の文学研究者に多くのページを渡して、長い解説を書かせていたとみえる。そこには研究者らしい文献調査や社会学的な知識が盛り込まれ、作品理解の手助けになる。

f:id:odd_hatch:20200416091847p:plain

タイムマシン 1895(1924改稿) ・・・ 感想は角川文庫版のエントリーに書いた。
2020/04/17 H・G・ウェルズ「タイム・マシン」(角川文庫) 1895年
 ここでは解説からの落穂ひろい。タイムトラベルものは昔からあった(それこそ浦島太郎みたいに)。ウェルズの新機軸は科学的説明と「マシン」を組み合わせたこと。これでのちの作家は「タイムマシン」と書けば読者がウェルズのそれを思い出してくれるので、文章の節約になったのだ。発表のあと、イズレイル・ザングウィル(@ビッグ・ボウの怪事件)が実現不可能性だけでこの作品を批判した(!)。80万年あとの世界では人類は退化していて、文化や産業を喪失している。3千万年後の地球は太陽もろとも衰退している(宇宙や地球の年齢が若く見積もられていたころ)。このような退化論や宇宙的悲観論(コズミック・ペシミズム)はウェルズの創意ではなく、他の人も主張していた。たとえば、 トマス・ハックスリー@「科学談義」(岩波文庫)。機械の廃棄は サミュエル・バトラーの「エレホン」(岩波文庫)の影響もあるらしいとのこと。
 解説の後半は、ウェルズの「タイム・マシン」以後を、タイム・パラドックスをSF作家がどう処理したかの系譜を見る。どうやら、このテーマは1930-70年の間にさかんに書かれた。そのあと急激に廃れる。数百のSF作家がこぞって取り上げたものだから、開拓しつくされて新しい展開を生み出せなくなったからだろう。

水晶の卵 1897 ・・・ 骨董店にある水晶の卵。店主は頑として売りに出さない。というのも、水晶の卵をのぞき込むと、火星の様子がみえるから。ウェルズの生きている時代はまだ火星の生命が信じられているころ(「宇宙戦争」がまさにそう)。水晶の卵は「くぐり戸」と同じようなイギリスの日常から離脱するための装置。店主は無教養な妻や息子に疎まれていて、家に居場所がなかった。水晶をのぞき込むときだけが、彼に生を感じさせる瞬間であった。店主の最後はやはり「くぐり戸」と同じ。抑圧から解放が困難な社会の寓話。

深海にて ・・・ H・G・ウェルズ「タイムマシン」(角川文庫)参照。

新加速剤 ・・・ H・G・ウェルズ「タイムマシン」(角川文庫)参照。

円錐蓋 1895 ・・・ 妻と不倫しているところを見つけた夫、その友人を自分の工場に案内する。ポオ「アモンテイリャアドの酒樽」のウェルズ版。工場、機械、プラント、蒸気機関。こういう武骨なものが「現在」を象徴する存在になっている。世界的に工業化、電気化が推進され、鉄鋼生産量が国力の指標であった時代。

奇跡を起こした男 ・・・ H・G・ウェルズ「タイムマシン」(角川文庫)参照。

ザ・スター 1897 ・・・ 太陽系で最も遠いところにある海王星の軌道がおかしい。どうやら巨星が太陽に近づいている。海王星木星を飲み込んだ巨星が地球に迫る。地球上のパニックを詳細に描く。東宝特撮映画「妖星ゴラス」の元ネタですな。似たような趣向の黒岩涙香「暗黒星」1904年、ドイル「毒ガス帯」1913年も併せて。ウェルズでは科学はこの事態になんの対処法も示せず、無力である(「宇宙戦争」でも同様)。その代り、危機を経験することで人類は国家のしがらみや差別を克服すると、珍しく楽観的。と思えたところで、「宇宙のかなたから観察すれば、人類始まって以来の大災厄もいかに微細なものであるか」とペシミスティックに突き放す。意地の悪い人だこと。