odd_hatchの読書ノート

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ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(完訳版)」(中公文庫)-2 神は直接ロビンソンに現れ、ロビンソンは差別的な植民地経営にいそしむ

2020/05/18 ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(完訳版)」(中公文庫)-1 1719年

 

 神を待ち望んでいたシモーヌ・ヴェイユの前に神は現れなかったが、ロビンソン・クルーソーの前には現われた。その神は慈愛に満ちた許すものではなく、不信心で徳行を積んでいないことを責め立てる怒りの神だった。その怒りの強さと恐怖で、ロビンソンは信仰を獲得する。重要なのは、神は教会や宗教人を通じて現れるのではなく、直接ロビンソンの前にくる。その意味を検討する過程で聖書を再発見し、ロビンソンは熱心な読者になる。信仰を獲得する手順がたぶん新しくなった。中世物語でも神は現れたが、通常その意味は単独ではわからず、聖職者が解釈することで意味が開示されていた(「聖杯の探索」など)。それが近世になると、神は個人と直接つながるものになる。デフォーのいた当時のイギリスの宗教事情の反映かしら(ここはwikiをみてもよくわからない)。
フランス古典「聖杯の探索」(人文書院)
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 さて、中南米オノリコ川河口の肥沃な島は、狩猟採集による自活を可能にした。その過程で、ロビンソンは技術を再創造する。そして、農業生産に発展。まるで人類の創成期・文明化の過程を再体験しているようだ。18世紀初頭の世界人口は10億人もいないと推測されていて、人跡未踏の地はたくさんあった。なので、このような追体験が可能になった。

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農耕の試み ・・・ 3年目。オオムギとコメの栽培に着手。害獣、害鳥に悩まされ、かかしや柵を作って対処。収穫した種子は保存して二回目の播種に使う。船から持ち出した剣、斧、手斧などを使って、土器、鎌、うす、ふるい、かまど、梃子、ローラー、カヌー(動かせず失敗)などを制作。
(労働、採取狩猟、制作の繰り返し。勤勉に体を動かすこと、日々の記録を残すことが期限のない牢獄で生き延びる重要な手段になる。)

四年目の心境と生活 ・・・ 現状を神の意思の表れであると認識し、罰を受けているのではないと肯定するようになる。悲しみと恩恵を感じている。貨幣には使用価値も交換価値もない(自給自足経済では、貨幣を交換し合う、貨幣価値を共有する<他者>がいないのだ)。
(毛皮で服、帽子、日傘を作る。)

舟を作る ・・・ 2年かけて丸木舟を作り、島一周の航海にでるも、潮流に危うく流されかける。以後、自作の舟で脱出することを断念。

土器制作とヤギの飼育 ・・・ 11年目。土器制作が上達し、ヤギの家畜化に成功。12頭のヤギの乳からバターやチーズを作れるようになる。3か所の住居などをもつにいたる。

砂上の足跡 ・・・ 15年目。海岸の砂浜に自分の足より大きい足あとを見つける。「蛮人に食われる」という恐怖。2年かけて住居の防衛を強化し、ヤギの放牧場を増やす。
(言葉の通じない<他者>との遭遇が恐怖をもたらす。ロビンソンはカニバルを恐れるが、それは西洋人が南アメリカの先住民を殺戮したり、18世紀初頭現在で奴隷貿易をおこなっていることの反映。自分らがやっていることをやられるというのが恐怖になるのだ。)

新たな恐怖 ・・・ 18年目に海岸で食人の痕跡を発見。23年目に9人の蛮人が食人のパーティを行っているのを発見。
(ロビンソンは蛮人を攻撃することを計画したが、「あの人々を(略)私が干渉する権利がどれだけあるのか」と自問する。西洋で戦争捕虜を殺害したり、スペイン人がアメリカ先住民を虐殺したことを思い出し、権利はないと判断する。民族の悪は民族の中で罰せられるべきだと考える。人権の考えが生まれていることの証左。また言葉の通じない<他者>との交通のあるべき姿を感情ではなく共通善や功利主義で見出す。それでも食人の現場をみたら殺すと決意しているのであるが。)

難破船 ・・・ 24年目。嵐の夜、砲声が聞こえる。翌朝、天候が回復してからみにいくとスペイン船が座礁。残念ながら生存者はない。いくつかの物資を得る。そのあと、島から脱出するにはいけにえになる蛮人を救って従者(召使、助手)にすることだと夢に見る。1年半、機会をうかがう。
(虐げられている現地民を「救って従者にする」ことが現地民の解放と自由に獲得になるのだという考えは植民地主義を正当化する詭弁だな。)

金曜日の救出 ・・・ 5隻のカヌーが来て、20-30人の蛮族が食人の儀式を行う。ひとりが逃げ出し、追手が二人なのをみてロビンソンは救出する。フライデーと名付けた男は従順になるしぐさを見せる。
(そのあとロビンソンが最初に教えたのがマスター(主人)という言葉。他人と対等の関係をもとうとしないし、他文化にたいする敬意ももたない。そのあとロビンソンはフライデーにさまざまな美徳を発見する。もともと人間には神から与えられた能力(理性、愛情、親切、恩義、悪への怒り、感謝、誠実、忠誠、善など)をもっているが、神の言葉を知らないために理解が足らず、卑しい用い方しかしていないと考える。それが蛮人を教化する根拠になるのだが、なんという傲慢か。)

 

 16世紀のスペイン人は南アメリカ大陸をまさに侵略したのであって、先住民を虐殺し、富を略奪したのである。それから二世紀たったイギリス人は遅れて中南米に進出する。そのやりかたはロビンソンと同じで、入植して農業を行い、成功したところで事業拡大する。労働者が少ないので、アフリカ大陸に目をつけ、奴隷にする。まあ、ロビンソンと同じようにというのは逆で、進行中のできごとをデフォーは小説に取り入れたわけだ。
 なので、蛮人に対する差別、低賃金、主従関係の強要などはロビンソンの施策に現れる。一方で、イギリス人とは島からの脱出に際してビジネスライクな取引を持ち掛ける。相手によって対応を変えるというのは、他人を目的ではなく手段としてみているからなのだろうなあ。

              

 2020/05/14 ダニエル・デフォー「ロビンソン・クルーソー(完訳版)」(中公文庫)-3 1719年