科学に信頼を置いているのは、科学の方法が日常生活で知識を得て正当化する方法を洗練させたものだから。でも、詳しく見ると「日常生活で知識を得て正当化する方法」がつねにいつでも正当化できるかというとあやしい。というわけで、そのあやしい理由を探る。
第1章 日はまた昇らない?―自然法則の必然性について ・・・ 科学の法則に正当性はあるのか。推論の方法には、1.帰納的推論、2.演繹的推論、3.アブダクション、4.アナロジーがある。どれにも「必然的に正しい」とは言えないケースがある。推論で得た規則も、肯定的な事例から導かれる、否定的な実験を行っても生き残る、法則の網目の中に位置づけられるというテストに受からないと法則にならないという厳しいルールがある。(なので、ある科学的言明が否定されたからと言って、科学全体やその発言者の言明全体が否定されるわけではない。ある種の陰謀論者、カルト、反科学の人たちなどはここを理解していない。)
第2章 原因なんてない?―因果の実在について ・・・ 因果という概念は客観的に実在しないのではないか。あるできごとには原因があり結果が出たと考えがちだが、必ずしもそうではない。あるできごとに関係すること・ものは多数あり、その中から観察者が関係を見出す。それも時間的順序に従うというように。エントロピー増大測や人間の主観などがそう見させているということができる。
第3章 原子なんてない?―見えない世界の実在について ・・・ 科学理論が仮定する観察不可能な対象は実在するのか。見えない世界の電子や原子はなぜ「ある」といえるのか。ないとする解釈も、あるとする解釈も多数。あと直接的に観察可能にこだわるのは、それに特権を与えるイデオロギーではないの?というつっこみが面白い。
(「俺は自分で見たものしか信じねえ」とイキるあほが陰謀論やオカルトのビリーバーやレイシストであったりする。また、この「ある」の議論はハイデガーの現象学とどう結びつけるのかなあという漠然とした疑問。誰かが考えていると思うが、自分で調べるほどの関心はないけど。)
第4章 科学は正しくない?―科学とそうでないものの線引きについて ・・・ 科学と他の知の体系を区別する特徴は何か。命題に関しては、検証可能性基準、確証可能性基準、反証可能性基準などがある。命題がこれらの基準にあわなくても、関連しあった命題の集まりである理論が崩れなければ問題ないとされる。でもこれらの基準では線引きしがたいグレーゾーンがある。主張するものの態度が問題にされることがある(詭弁を弄するか、撤回や修正するか)。
第5章 科学で白黒はつかない?―科学の合理性について ・・・ 科学理論が科学者集団に支持されるまでと別の理論に変わるまでをどう説明するか。クーンのパラダイム論、研究プログラム論、研究伝統説、社会構成主義など。
(かつてあった漸進的進化説は影も形もない。)
第6章 科学ってなに? ・・・ 科学と他の知の体系を区別する基準を考える。この場合のほかの知の体系として考慮されているのは疑似科学、ニセ科学。二つの基準があって、ひとつは現象の説明の仕方が科学的か。もうひとつは現象の存在が十分な証拠で支持されているか。前者で知的設計者論(インテリジェント・デザイナー)、後者で血液型性格診断が取り上げられる。科学の説明(命題)は現象をある一つのモデルに統合することで、モデルや理論は互いに網目の中に統合されているから信頼度が高い。1から3章までで、科学の法則、因果、観察などに正当性は厳密には認められないという議論をしたが、にもかかわらずできるだけ説明の仕方を科学的にするように科学者集団は研究しているので、ほかの知の体系よりも科学の正当性は高い。
<参考エントリー>
池内了「疑似科学入門」(岩波新書)
渡邊芳之 「「モード」性格論」(紀伊国屋書店)-2 なぜ心理学者は血液型性格診断を信じないか。
サイモン・シン「代替医療解剖」(新潮文庫)-3
1980年前後に八杉竜一「科学とは何か」(東京教学社:初出は1950-60年代)を読んだ。そこには今の高校教科書に書かれている程度の科学論(仮説検証、反証可能性、理論の弁証法的発展等)しか書かれていなかった。なので、直後に読んだ村上陽一郎「新しい科学論」(講談社ブルーバックス)で観察の理論依存性にびっくりしてしまった。
そのあと、科学論を読むことがめったになかったので、科学哲学の状態を知るために比較的最近(本書は2012年刊行)のものを選んだ。ああ、この数十年の間に科学哲学も進化・深化して整理が進んでいた。推論や因果に関する議論は過去には目にしたことがない。論理学が得意でないので、この簡易な説明で歯ごたえがありすぎで、この先の入門書を読もうかどうか躊躇してしまう。観察の正当性に対する疑義と科学理論の変遷の説明は興味があるのだけど。
(俺がある程度科学に信頼しているのは、科学の方法の厳密さや知の体系の緻密さと同時に、科学者集団への信頼がある。すなわち俺の解けない/理解できない理論や定理は、過去から今までに数万人以上のもっと頭のいいひとたちが考えてきて誤りなしとされているから、俺の粗雑な頭では覆すことはできないよなあと思うから。)
本書を読んでほしいのは、学生がそうなのだが、同時に、ニセ科学のビリーバーや商品販売業者、陰謀論者、創造論・インテリジェントデザイナー論の信奉者など。彼らの信奉する理論や商品がいかに他者の権利を侵害するかについて理解してほしい。彼らの粗雑な頭では無理だろうけど。