odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

坂根巌夫「遊びの博物誌 1・2」(朝日文庫) ファインアートとカウンターアートの間にある広大な領域に科学とテクノロジーのアートを見出す。

 文庫は1985年に出たが、もとは1975年から翌年にかけて朝日新聞日曜版に連載されたもの。楽しんで読んでいたので、紙面を覚えています。

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 「遊び」というからもちろん玩具も出てくるけど、自分が楽しかったのは西洋近世と日本の江戸時代のだまし絵やトリックアート(その流れでエッシャー安野光雅のような20世紀のものもでてくる)。絵の中に別の意匠(人の顔など)が隠れていたり

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さまざまな事物のあつまりで大きな絵をかいたり(アルチンボルドが典型)、

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見る方向を変えると別のものが浮かび上がったり、歪んだ絵に円筒の鏡を置くと正常な絵ができたり、見方を変えると地と図が反転したり(ルービンの壺が典型)。

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そういうもの。こういうのは美術図鑑にはあらわれず、図画工作の授業で鑑賞されることはなく、学習雑誌のコラムで紹介されるくらいのものだった(昭和40年代までの話)。この時代にはファインアーツとそれに反発するカウンターアート(ハプニングとか路上芸術とかいろいろ)に芸術や美術は二分されていたのだが、その区別にはおさまらない広大な分野があって、それは評価されていなかった。こういうのを面白がろうという気分がでてきたのが、1970年代。
 くわえて、「遊び」にはテクノロジーの産物が含まれる。この時代ではコンピューターを使ったグラフィックは無理だった(映画「2001年宇宙の旅」1968年のような膨大な費用をかければどうにか可能)。ここでは数式に基づくデザインだったり、バックミンスター・フラーの考案した立体を応用した玩具だったり、モビールだったり。こういうのも面白いと感じて、家の中に置いたりすることはあっても、それをアートとみなすことはなかった。美術や芸術はキャンパスに書かれた絵であったり、石や木を刻んだり、粘土をこねあげたりと、過去から行われている技法で、かつ名匠・巨匠・天才などがつくりだした名品がある分野だけに限定されていた。それを取り払ってしまおうというのがこの時代から起きている。
 もうひとつは心理学の成果。錯視の数々。平行線が歪んで見えるとか、格子の交点が暗く見えるとか、同じ長さの線分が違って見えるとか。心理学の成果と同じ効果を上げる技法が数百年前からあったりするのを発見できたりもする。
 もちろんアートの中の異端や新発想もとりあげられている。要するに教養主義がアートの範囲を狭く限定していた(すなわち19世紀の西洋ではやっていた芸術や美術、哲学や小説、音楽を教養としていてそれからはみ出るものは無視していたのだ)のを、枠や制約を取っぱらって、範囲を広くとろうと主張する。そうするとアートが変わってきて、それまでは作品の意味や作者の意図などを読み取ることが鑑賞だったのだが、そうではなくて感覚で認識するものをそのまま楽しみましょう、意味や意図を読むより技法に驚きましょう、プロであるかとか評論家のお眼鏡にかかっているかは無視して素人や職人のものも対象にしましょう、作品は作者という個人に帰属するという認識は捨てて名無しや集団制作も対象にしましょうとなる。脳で鑑賞するのではなく、目玉をつかいましょう、ときには身体で体験してみましょう。壁にかざるのではなく、手に取って遊んでみましょう。そういうことになる。
 大上段にかまえた感想になってしまったが、これは俺の思ったこと。内容は取り上げた対象の遊び方に、由来に、科学や技術からの説明。写真を眺めているだけで楽しい。ここにあげられている玩具には、スマートフォンアプリになっているものもある。タングラムや漢字パズルなど。

    
 作者は新聞記者。玩具のコレクターでもあり、安野光雅などのデザイナーやアーチストと交友があったという。新聞連載のあと単行本がでて、それがきっかけで展覧会にもなったとか。