odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」(ハヤカワポケットミステリ)-2 犯罪を放置できずに制裁を個人的に実行しようというのは「真犯人」の善ではあっても、社会の正義を実現したものとは思えない。

 15年振りの再読。楽しんだ。前回の感想は、
アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」(ハヤカワポケットミステリ)

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 8人の老若男女がインディアン島に招かれる。屋敷があり、執事とコックの夫妻がいる。合計10人が島にいる。最初のディナーのあと、なにものかの声で10人の犯罪が告発される。部屋には童謡「10人のインディアン」の歌詞が掲げられていて、ディナーテーブルの上には10個のインディアン人形がある。そして童謡の歌詞のとおりに、殺人が行われる。10人全員が殺害され、島から誰も脱出していないし、誰も隠れていない。何が起きたのか。
 厳密にいえば犯人あてのできない小説なのであって、これは初読で驚き、再読でクリスティの技を堪能する作品なのだ。
 クリスティの技の一つは、前回の感想エントリーで書いた「語り口が非常に早いということ」。10人の登場人物の内面はほとんど描写することなく、つぎつぎに場面転換していく。その結果、不自然なところや書かれていないところがあることに気づかせない。
 もうひとつはだんだん加速する物語。今回はハヤカワ・クリスティ文庫(旧訳)で再読した(小説部分は350ページくらい)。冒頭から3分の1まででは死者がひとり。そのあと3分の2に近づいても被害者は3人。判事や医師を中心に、「法廷」が開かれて、弁明やアリバイを主張される。ほとんどの人は屋敷から出ないか、その周辺にいるだけ。しかし残り100ページになると怒涛の展開になって、10ページごとに被害者がでて、屋敷をでて捜索を行いだし、死体を見つけるごとにいがみ合いが増していく。いったい1939年作なのであって、ビクトリア朝のモラルを守る中産階級かそれより上の階級の人々がいるので、軽率なものも感情を爆発させるものもいない。抑制された行動性向の持ち主ばかりだから、後半の緊張はどんどん高まっていく。物語が加速していく小説を書いた例はほかにない(と長編を約30編読んだだけだが、そう思う)。とても珍しい。
 邦訳は長らく清水俊二訳。チャンドラーの全長編を訳した翻訳者の文体によるところも大きい。乾いた、そっけない、短い文章の積み重ねが、この小説に緊張感を生んでいる。原文にさかのぼってあっているかはわからないので、青木久恵の新訳を見た方がよいかもしれない。
 クリスティの小説は事件の関係者を集めるのがとてもうまいのだが、この小説でもそう。通常はこういう「クローズド・サークル」に集まるのは、親族、知人・友人の関係者などが複数組あるという具合。すでに集まっているところに探偵役が紛れ込むというしかけ。ここでは、互いにあったことのない人が船に乗り込んだり、列車でむかったりするのがパッチワークのように書かれ、屋敷について全員が初めて顔をあわせる。この流れがスムーズで、読書のペースが心地よい。クリスティの傑作は登場人物が集まるまでがとてもうまいのでそこに注目。思い出すのは「オリエント急行の殺人」「バートラムホテルにて」。
 さて、以下はネタバレになるかもしれないので、未読の方はスルーするように。 

    

 

 

 ここで提起されている問題は、私的制裁を社会は認めるかということ。「真犯人」の動機は、社会的な制裁を受けていない「犯罪」を放置することができないとこと。今回の4回目か5回目かの再読で引っかかるのは、放置できずに制裁を個人的に実行しようというところ。なにしろ「真犯人」が選び出した「犯罪者」は恣意的であるし、認定した「犯罪」も通常では犯罪とはみなされない。医師のは過失とみなされていない、交通事故加害者は法の処罰を受けている、解雇した雇用人の自殺が解雇によるかは不明、妻の不倫相手の部下に将軍が死地の偵察を命じたのは「犯罪」といえるか。たまたま「真犯人」が選んだものは、過去の行為を悔いている(一名除く)ので、「真犯人」の意図は正しかったといえる。でもそのような内面や思想はうかがうことができず、個人がそこに踏み込んで私的に制裁することは「真犯人」の善ではあっても、社会の正義を実現したものとは思えない。イーデン・フィルポッツ「医者よ自分を癒せ」(ハヤカワポケットミステリ)ウィリアム・モール「ハマースミスのうじ虫」(創元推理文庫)と同じ欠点をこの小説は持っていると思う。
 そのような正義と私的制裁の件はわきに置いて読むことも可能。通常、「そして誰もいなくなった」はクリスティの傑作とされるのだが、その評価は納得するとしても、クリスティの作風の典型ではない。「アクロイド殺し」と同じく、作家の作品のなかでは異質なもの。最初に読むのはお薦めしない。ポワロやマープルものを10冊くらい読んでから手に取るべき異形の傑作。