odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アガサ・クリスティ「殺人は癖になる」(創元推理文庫)「メソポタミアの殺人」「メソポタミア殺人事件」とも 舞台はシリア。イスラエル建国以前の中東はイギリス帝国主義支配下にあったので、白人には安全。

 原題「Murder in Mesopotamia」1936年はハヤカワ文庫で「メソポタミアの殺人」、新潮文庫で「メソポタミア殺人事件」、創元推理文庫で「殺人は癖になる」。創元推理文庫は中盤で事件を担当することになったポワロの口に出した言葉から。そのときには予想されなかった連続殺人が起こるという予言です。

f:id:odd_hatch:20200827091038p:plain

 さて、シリアで発掘調査中のイギリスの探検隊。厳しく、神経質な雰囲気に包まれていた。その中心にあるのは、団長の妻ルイーズ。彼女は前の夫をスパイ容疑で告発した。夫は死亡したと思われたが、復讐するという脅迫状が届いたことがあった。それがこの発掘調査が始まってから再び届くようになり、とてもおびえている。そこで看護婦を雇い(彼女が記述者)、シリアに同行してもらうことになった。数日後、妻は部屋で撲殺されているのが見つかった。その直前、誰かの白い顔がのぞいているといっていたが、そのような人物はなく、犯行時刻にはみな宿舎の近辺で仕事をしていて、外からの出入りはない。
 中心にいるルイーズが美人であって、知的であって、魅力を周りに振りまき、周囲を虜にする。そういう女性が殺される。というのは、「牧師館の殺人(ミス・マープル殺人事件)」「晩餐会の13人(エッジウェア卿の死)」「邪悪の家(エンド・ハウス発塵事件)」と続けざまに読んできた。ここでもそう。ルイーズの周囲にはほぼ同年齢(30代後半)の男性、駆け出しのけ研究者の20代の若者がいて、それぞれがルイーズに振り回されている。とはいえ、中産階級から上流階級の人々は礼儀正しく、皆が集まったときにはそぶりをみせず、言い合いもしない。そういう閉鎖的な人々の中で情報を集めるのだが、マープルであると気さくな茶飲み話ができようものの、ポワロは正面きった尋問をせざるを得ず、なかなか情報は集まらない(俺のような世間話が苦手なものにはポワロの苦闘に共感するので、ポワロ物の方がおもしろいな)。多少、打ち解けた話ができるのはポワロがベルギー生まれの「外国人」であって、利害関係を持たないと思われているからだろう。
 殺人は癖になるというポワロの予言の通り、事件の真相にいち早くたどり着いたある老嬢が殺される。彼女のが死の前につぶやいた言葉こそが真相の決め手。「オリエント急行の殺人」のように、閉鎖空間(周囲は砂漠で自動車がないと町に行けず、実質閉じ込められている)で起きた事件は、そこにいる人々の過去を探ることによって明らかになる。
 という具合に、事件の構造は先行作を組み合わせたもの、事件の関係者は「女王蜂」に群がる働き蜂や兵隊蜂であるとなると、興味はあまりもてませんでした。特に調査隊の若者たちに精気がなかったもので。代わりに疑惑をまき散らすのは碑文解読家でもある神父さんのみ。これが弱かった。謎解きは相変わらず達者(加田伶太郎全集のある短編に似た趣向)で、細切れの情報がひとつにまとまる手腕が見事だっただけに惜しい。
(事件はある女性によって記述される。これも読者の目をそらせる仕掛けになっている。「アクロイド殺し」を読んだものにはその予断があるわけで、それを込みにして仕込んであると思うので、これも達者な手腕。あと、「地方色を盛り込むつもりは一切ない」と書き手は宣言しているので、具体的な描写は一切なし。砂漠や乾燥した気候、宿舎、服装などほとんど描かれない。そのためふだんのイギリスと変わりないような、抽象的な場所で起きているように思える。そこは「ナイルに死す」と同じ。小説を観光案内にしないうえ、リアリズム描写を一切廃しているのも、作者のレッドへリング。)
 舞台はシリア。イスラエル建国以前の中東はイギリス帝国主義支配下にあったので、白人には安全。現地の人々は個性などなしの群衆。このあたりの視線はWWIIより前のもの。
 ラストシーンでポワロはオリエント急行に乗るといっているので、あの事件がこの後に起きたのだろう(書かれたのはこちらがあと。)