odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ティム・ハーフォード「まっとうな経済学」(ランダムハウス講談社)-1 「覆面経済学者」が市場で人々が行う行動を観察して、経済学の知識で解釈する。

  原題は「Undercover Economist」で作中では「覆面経済学者」と訳される。市場(マーケットだけではなく金融市場も)を訪れて、人々が行う行動をみて、それを経済学者の知識で解釈する。もちろん個々人の行動や選択は千差万別でランダムであるが、ある程度のサンプルを集め傾向を把握すると、経済学の知識で説明できるのだ。自分はミクロ経済学を勉強していないが、ここではその知識が使われているようだ。後、経営学や投資理論の知識もある。これらの基礎知識を知っていたほうがよい。
 日本語タイトルは先に出版されたスティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)のパスティーシュ。本書にも引用がある。
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)

f:id:odd_hatch:20201109092042p:plain

第1章 誰がためにそのコーヒーはある ・・・ リカードの「差額地代論」を使って、コーヒーショップの家賃、ロンドンと郊外のマンション価格、銀行の利益率の差、移民の給与などを説明する。希少性は価格や利益を上げる力になるが、強すぎると経済全体の効率を下げる。

第2章 スーパーマーケットが秘密にしておきたいこと ・・・ 同じ商品や似たような商品が同一店舗で価格が異なったり、同じ地域の別の店舗で価格が異なったりすることがある。顧客をグループや個人に絞ったターゲットを設定し、購入意欲が増すように価格戦略をとっているから。時には世界的な価格差異を作って、利益の最大化=効率化を図る。価格の差異がありうるのは消費者が怠惰で不精なため。それに気づくためには観察が必要。

第3章 完全競争市場と「真実の世界」 ・・・ 市場では情報が公開されていて、生産者-販売者-消費者の納得する価格に調整される機能がある。当事者の効用が高まり誰にも損失を与えない効率性が実現する。しかし公正ではない。公正を実現するときに非市場でサービスが提供されることがある(警察、教育など)。こちらでは情報が非公開で、価値・コスト・効果が検証されず非効率になる。ある種の経済学者は、市場でも公正を実現する方法があるとのこと(そのためには、国家が市場に介入することになるが、著者は考慮しない。市場と国家の関係はヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上下」(日経ビジネス文庫)を参考に。)
(あと「効率」の定義に注目。日本では効率性がコストカット、固定費削減、人員削減の意味に限定される。意味が変えられて使われるのには「リストラ」もある。本来の意味を失っているので、使用には注意すること。)

第4章 交通渋滞 ・・・ 市場の失敗である外部性について。個人選択や市場取引から費用と利益が零れ落ちて、他人や環境に損害を与えること。たとえば交通渋滞による環境汚染、都市部の不便、長時間移動など。そのとき外部性の限界費用と平均費用を算出して、外部性に課金して解決する方法がある。問題は真の外部費用をどうやって算出するか。それは市場で決まるという実例があった。その費用を生産者や消費者に負担させるという方法。一方、正の外部性(個人や集団の無償の行動が他人や環境に利益を与える)もあり、補助金の対象にしてもよい。でも出しすぎや政府の介入を拡大するという問題がある。

第5章 内部情報 ・・・ 市場の失敗である情報の非対称性について。販売者が情報を故意に隠すとか、消費者が自分の情報や欲望を把握していないとかの情報の非対称性で完全な市場ができない。そのときリスク回避のために価格が高額になることがある。たとえば医療保険と医療費。「シンガポール政府は、医療費用預金口座の開設と高額医療費保険への加入を義務付けて、医療費を確実に抑制しながら、患者の選択権をシステムの中心に据える」ことによって真正面から取り組んだ(P199)。市場と政府の協力による対応なのだろうが、それは市民の公的自由の抑制と移民・出稼ぎ・貧困者の排除があってのこと。

 

 前半の主題は、市場の失敗について。稀少性、外部性、情報の非対称が完全市場の実現を阻んでいる。といって、国家が介入することには慎重であるべき。それに市場の失敗を回避する方法を経済学者は開発し、ときに政府や自治体と組んで実践したことがある。
 本書の前半に書かれたことは経済学の基礎になるので、この国の政治家は全員勉強してほしい。とくに保守系の政治家は経済学の知識がなくて、素人談義程度の議論をしているから、切実な要求だ。
 その点で、タイトルを「まっとうな経済学」にした翻訳者他のセンスはよい。

2020/11/09 ティム・ハーフォード「まっとうな経済学」(ランダムハウス講談社)-2 2006年