odd_hatchの読書ノート

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森谷明子「千年の黙(しじま)」(創元推理文庫) 宮廷では政治(祭祀と人事)では女性の出番はない。そこにおいて物語を書くことは政治的な行動だった。

 この国の奈良から平安の王朝を舞台にするのがサブカルで行われるようになったのは、大和和紀あさきゆめみし」や山岸凉子日出処の天子」の1980年代初めのころであったか。この森谷明子「千年の黙」2003年は上にあげた漫画に触発されているのではないか、と作者の生年を見て妄想した。あいにくこの時代のできごとも、「源氏物語」に代表される女流文学もあまり興味がないので、知識がない。とりあえず土田直鎮「日本の歴史05 王朝の貴族」(中公文庫)を思い出しながら読むことにしよう。

「帝ご寵愛の猫はどこへ消えた? 出産のため宮中を退出する中宮定子に同行した猫は、清少納言が牛車に繋いでおいたにもかかわらず、いつの間にか消え失せていた。帝を慮り左大臣藤原道長は大捜索の指令を出すが――。気鋭が紫式部を探偵役に据え、平安の世に生きる女性たち、そして彼女たちを取り巻く謎とその解決を鮮やかに描き上げた絢爛たる王朝推理絵巻。」

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上にさぶらふ御猫(長保元年999年) ・・・ 上記サマリーの事件。左大臣の家から猫が消えるのとどうじに、出産で物忌みにはいる中宮定子(ていし)の家がどたばたし、左大臣道長はそのあてつけのような旅にいって貴族らはそれにあつまり、捜査を命じられた宜孝の妻・御主の家では手紙が消える。そして御主の女童あてき10歳は手紙を届けに来た左大臣の小姓岩丸14歳に気をひかれて。さまざまな出来事がひとつにまとまる快楽。御主は源氏の宮の物語に悪戦苦闘中。

かかやく日の宮(寛弘二年1005年) ・・・ 前の物語から7年後。東(あずま)から戻った岩丸、いまは源義清と改名、とあてきは結婚している。あてきのなじみのいぬきがいる中宮元子(げんし)の家で怪異がおきる。深夜物の怪が現れ、笛が名曲を奏でるかと思えば調子はずれの騒音をだす。帝の子を流産した元子はふさぎがちで、唯一中将と手紙のやり取りをするくらいなのに。くわえて、宮中で有名になった「源氏物語(の名はこのときはついていない)」に筋が通らないといううわさがたつ。聞くと、第二巻の「かかやく日の宮」を読んだものがだれもいない。あてきは歩き回り、御主は考え込む。

雲隠(長和二年から寛仁四年1013年から1020年) ・・・ さらに月日がたち、左大臣道長も老いを感じ、御主は宮勤めを辞めることにし、あてきは西行(さいこう)するも夫を戦で亡くして尼になり、御主の娘は21歳になり、「かかやく日の宮」だけが消えた理由があきらかにされる。

 

 探偵小説の体裁ではあるが、起きる事件はというとやんごとなき方の愛猫がいなくなり、時流から外れた女房の屋敷で怪異が起こるくらいのもの。人のうわさにのぼりはすれど、誰も大騒ぎをしない。左大臣に命令されて捜索するものだけが右往左往する程度の「事件」でしかない。そこに、「源氏物語」を書いている香子(籐式部)が置かれると、芸術意識をもつ近代的自我が事件のみならず、政治(この当時はほぼ祭祀と人事のみ)の裏側、寝技をあきらかにするのである。しかし法の裁きは行われず(検非違使 六波羅探題 は宮中の捜査権をもたない)、謎が解かれることそれ自体で満足しなければならない。それができるのは、香子の自我。宮中の政治から一歩も二歩も退いて、客観的にみることを己に強いたことに由来する。
 とそのようなミステリの文法を検討することより、王朝文学が成立する過程を楽しんだほうがよい。何しろ「源氏物語」には謎があって、ひとつは定家があると証言する「かかやく日の宮」の存在が確認できないこと、もうひとつは物語は完結編にあたると思われる「雲隠」の帖の行方が知れないこと。いずれも書かれてから千年もたっているのであり、愛好家の捜索でも見つからず、学者も行方不明の理由をいろいろ唱えている。それに対する解答案がここにあり、専門的な検証には耐えられなくとも、高校の日本史程度の知識を持っていれば、おおよそその時代とあてはまることが納得できる説明になっている。この時代の宮廷の歴史は俺にはおよそ退屈なものであるのだが、それでも過去に読んできた王朝ものの小説の中では群を抜いた面白さだった。
岡田鯱彦「薫大将と匂の宮」(別冊幻影城)
福永武彦「風のかたみ」(新潮文庫)
石川淳「六道遊行」(集英社文庫)
 王朝貴族の生活は、以下の本であたりをつけていた。
土田直鎮「日本の歴史05 王朝の貴族」( 中公文庫)
堀田善衛「方丈記私記」(新潮文庫)
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫)
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫)
 なるほど、本書に描かれる宮廷生活もこれらの書物で培われるイメージを踏襲するものである。最初に「桐壺」の帖を書いたとき、読者はせいぜい数人。読み手の顔を知っているのであれば、くだくだしい描写は不要で、彼ら彼女らに通じる些細なことに筆を走らせて構わず、ときにはモデルの存在もにおわせることもできる。そういう極めて狭い書き手と読み手の世界で流通する物語。評判を呼べば宮中に名をとどろかすことになるものの、せいぜい数百人から数千人までの狭い社会。およそ近代の作家と読者の関係からは思いをはせることもできないような社会で交通があったのだ。その交通する社会が奈良の時代の「懐風藻」から、平家滅亡後の「新古今和歌集」まで数百年続いたことに驚く。堀田善衛のいうように、世界でも類をみない教養文化が成立していたのだった。それを描いた、本書で初めて名を知った作家の筆に敬意を払う。
(こういう狭い界隈で流通する文化が他にあるとすると、江戸時代の戯作や草紙と、20世紀後半にできた「同人誌」なのだろう。)
 「日常の謎」を解くにあたって、視点は女性にある。この時代の宮廷が女性に抑圧的であったのか、開放的であったのかはよくわからないが、こと政治(祭祀と人事)では女性の出番はない。そこにおいて物語を書くことは政治的な行動だった。宮廷を舞台にし、モデルがいるかいないかが詮索され、あわせて作者暴きもあり、筆の滑りは自身とつかえている家の失脚につながりかねない。対象読者は女官であったとしても、評判は男にも届き、古今和漢の書に通暁しているとなると、知識人(という言葉も概念もないが)の男も目を通すのである。女官の楽しみであったとしても、政治利用されかねない物語を書くことは危険でもある。それでもなお、物語を紡ぎ人に届けたいという意志がある。物静かで寡黙な女性である御主の姿はうつくしい。加えてそれを模範にするあてきという女性の一代にも注目。教育の機会がないあてきは学はないが聡明で観察力にすぐれ(しかし論理的な思考は弱い)、気配りのできる女性。彼女が10歳から35歳ころまでの成長の物語もまた美しい。なるほど、このような近代的な人物が千年前の宮廷にいたと信じたくなる。

 

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