1972年から74年までミステリー・マガジンに連載したエッセイを1974年に単行本化。そのあと1981年に現代教養文庫で再刊。読んだのはこれ。あいにく現代教養文庫は廃刊になってひさしく、ほかで再刊された様子もないので、入手は難しそう。
本書のはしばしから推測される著者の経歴は、戦前にフランス料理のプロになり(おそらく渡欧体験もあるのではないか)、戦中は兵隊として南方に連れていかれた。こんな体験を記している。
「私も実は捕虜護送をやった経験がある。/山下軍団のシンガポール攻略後、英軍の司令官.ハーシバルは台湾に収容された。その収容所で将軍に飯を運んだ現地兵がその後、私の方に編入されて来たが、終戦のとき、「お前は戦犯として処刑されるぞ」なんて、みんなにからかわれて青くなっていた。(P37)」
戦後はフランス文学の翻訳もして推理作家として立った。犯人当てや奇想天外なトリックを駆使する作家ではなく、乱歩の「奇妙な味」の書き手。多作ではない。でも現在(2019年)に読める小説は限られている。いくつか呼んだが、自分との相性はよくなかった。
日影丈吉「かむなぎうた」(ちくま文庫)
タイトルは「ミステリー食事学」であるが、ミステリ―に出てくる食事を語るのではなく、ミステリー読みのために西欧やアメリカの食事の基本やマナーを紹介しましょうというもの。なるほど連載中にドルの固定相場が変動相場になり、円高が進んで海外旅行がしやすくなったとはいえ、海外の食事など無縁な人がほとんどであり、食材もマナーも十分に知られていなかった(なので筒井康隆「農協月へ行く」ができるわけ)。そこにフランス料理のシェフである著者が経験と、ミステリ―の読書体験を注ぎ込んで解説した。その知識はミステリーの解読には役立たず、実地にも使えないだろうが、読んでいる限りはおもしろい。そういう知的蕩尽の読み物なのだ。あいにく、ネットで簡単に検索できる21世紀には情報は古びている。
ここでは著者の博識におどろく。食事に関する情報が盛りだくさんなうえ、さらに以下のようなうんちくを傾ける。キリスト教、悪魔学、民間伝承、中国の故事、古今東西の犯罪事件、著名探偵小説作家とその作品。これらのうんちくを縦横無尽に語りつつ、作者の「私」はほとんど顔をださない。要所要所でちらとみせつけるだけ。ほとんどすべてで「私」のことだけ語るエッセイとは雲泥の差であり、達意の文章を相まって読む快楽を楽しめる。そこは福永武彦らの「深夜の散歩」に似た場所にいる文章だ。
後半にフランス、イギリス、アメリカの探偵小説史が語られる。有名作家ばかりがでてくる(自分にとっては)ので、特に目新しさはないのだが、当時翻訳されていた作品を考慮するとこうなるのだろう。例えば、フランスはヴィドック-ガボリオ-ルブラン-ルルー-シムノン-ボアロー=ナルスジャックで代表されるという具合。こういう一国内で文学史を書けるのはこの時代までなのだろうなあ。そのあとは、市場の拡大とジャンルの拡大で見取り図を作ることすら困難になっていると思う。
あとこの指摘は耳に痛い。
「君子が庖厨を遠ざけるのは、そこが料理をするところだからではなくて、屠殺をおこなう場所だからだ(P45)」
という屁理屈で男性は家事労働をしないですませていた。数千年のあいだ。