odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-2

2021/01/18 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-1 2002年の続き

 

  抽象的な思考の論文のあとは、プロレスの現場からの発言や意見。
 おおきく5つの問題領域が設定されている。便宜上ABCを俺がつける。A.プロレス空間への招待。B.プロレスの哲学的考察。C.プロレス/プロレスラーの光景。D.プロレス史。E.プロレス空間の変容。F.その他。

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小人プロレスの憂鬱(高部雨市)C ・・・ 高部雨市「君は小人プロレスをみたか」(幻冬舎アウトロー文庫)の続き。1997年に全日本女子プロレスが破綻・廃業したので、小人プロレスは消滅。その時点で選手は3名で、いまでは選手のなり手がいないので復活は無理だろう。(なお、小人プロレスがなくなったのは人権団体のクレームのせいというのはデマ、とのこと。テレビ局自身の忖度らしい。全女がなくなるまで試合はあったし、ビデオがでたこともあった。今でもまれに試合が組まれます。)
 小人プロレスを調べました。

odd-hatch.hatenablog.com

スカル・マーフィと氷の刃(澤野雅樹)F ・・・ レスラーは顔。顔の呪縛。

プロレス原風景への輝線(井上義啓)C ・・・ 廃刊した週刊ファイトの編集長。原風景としての1950-60年代のアメリカプロレス。

イルミョン(前田日明インタビュー)C ・・・ 前田日明の出自カミングアウト(たしか最初)。(たぶん)ニューカマーの二世で、25歳に帰化。昭和の在日コリアンへの差別が生々しく語られる。RINGSで試したやり方がK-1やPRIDEに使われ、資金力の差でRINGSがつぶれた話がやるせない。

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2019/12/18 前田日明さんが語る日韓、在日 誇りと償いを名に込めた

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ポストコロシアム(?)なプロレス空間へ(東琢磨)E ・・・ プロレス好きがK-1のアーネスト・ホーストに魅了された。(実際、この時期のK-1はプロレスがやってきたギミックを積極的に取り入れ、世界各地から選手を集め、大男や巨漢などを並べて、魅力的なカードを興行にいれていた。身体が劣る選手(アンディ・フグ)が努力で大きな敵を倒す、負けた相手に雪辱(リベンジ)を果たすというストーリーもあった。それらと「世界最強を決める」というストーリーが進行していて大成功。プロレスものの俺はK-1やPRIDEに取られて悔しかったな。)

プロレスの割り切れなさに憑かれて(長与千種インタビュー)C ・・・ 1980年代は選手として、90年代は団体経営者として成功したレスラーのインタビュー。常にプロレスを考えている人。なので、しゃべる言葉は論理的で明快。自分をよく見えている人。(ガイアの練習もそれ以外の団体生活も厳しかった。でも、その後独り立ちしたのはごくわずか。日本では練習から生活から考え方まで、カリスマ的な指導者が全部見て指示してしまう。それは人財育成の方法として効率的なのか。)

真実もまた消費されるのであれば(松浦理英子)F ・・・ 前の長与千種インタビューのインタビュアー。「秘められたものを追い求めるのではなく直接的に目に映るものをみよ」。(秘められたものとは「ほんとうの本物」とか、プロレスラーのインサイダー情報とかかな。)

スネーク奄美荒川真(佐藤善木)F ・・・ 目に映るものに拘泥するプロレス観客。1979年夢のオールスター戦第1試合の記憶。(基本的に映像は残っていないが、ネットにはブートがある。第1試合はなかった。)

歌人、プロレスを見る(林あまり)C ・・・ 歌人によるプロレスラー讃。とくに印象的な試合というのがこれだそう。
神取忍 vs. 北斗晶 4/4 (93.04.02横浜アリーナ

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麻薬ストリップ(大仁田厚菜摘ひかる)C ・・・ デスマッチファイターとストリッパー。2002年現在は国会議員と作家の、自分をさらけ出すことのしんどさと快感について。

 

 俺は1990年から2006年まで週刊プロレスを読んでいた。なので、個々に出てくる選手や試合などは雑誌や動画の記憶でよみがえらせることができる。前田、長与、大仁田の話はそれらの記憶を想起させたので、懐かしく読みなおした。
 21世紀のプロレスにいまひとつ感情移入できないのは、「ほんとうの本物」の追求で選手が現実には不可能な超人的技術や力に関心をむけていること。それこそ相手選手の協力がなければできない技や、事前の練習が必要な技が次々と披露されるようになり、1980年以前のレスリングの技術をまるで見かけなくなったこと。事故と隣り合わせの技の発表会は見ていて心が苦しくなる(三沢光晴やダイナマイト・キッド、テリー・ゴディエディ・ゲレロらのことを思い出して)。
 もうひとつは1990年代の若手や成長株の選手が30年を経ていまだにメインイベントや後半の試合にでていること。選手の節制や鍛錬には敬意を表するけど、同じメンツによる似たようなカードの繰り返しには興味をもてないし、業界や団体の閉塞を感じるのだ。そろそろ新しいものになって、って。

 

2021/01/14 現代思想2002年2月増刊「プロレス」(青土社)-3 2002年に続く