odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

西井一夫/平嶋彰彦「新編 昭和二十年東京地図」(ちくま文庫) 高度経済成長時代に取り壊された敗戦後の東京を文学から掘り起こす。

 昭和二十一年に出された戦災焼失地域表示の付いた「東京都三十五区区分地図帖」をもって、著者らは1985年の東京を歩き回る(初出は1986年)。当時の痕跡を見出そうとして。1985年は再開発の名のもとに、戦前からあったものや戦後急ごしらえでつくったものがなくなっていく時代。その数年後には「地上げ」となってさらにスクラップ・アンド・ブルトは加速していく。このころに日本のGDPは世界第二位になり、経済繁栄を謳歌していた(そのわりに庶民の生活は苦しい)のだが、歴史と伝統をないがしろにする日本人らしさも発揮されていた。

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(個人的には1985年の池袋百軒店の取り壊しが印象深い。この10年後に池袋に住んで、取り壊し後に再開発された一角をうろついた。)
 同じ時代に、赤瀬川順平、荒俣宏藤森照信といった人たちも「路上観察」「考現学」などといって、東京の古いものを見ていた。

<参考エントリー>

藤森照信/荒俣宏「東京路上博物誌」(鹿島出版会) 1987年
赤瀬川源平「超芸術トマソン」(ちくま文庫) 1987年
荒俣宏「異都発掘」(集英社文庫) 1987年
四方田犬彦「月島物語」(集英社文庫) 1992年

 記述のほとんどは作家(メモしただけで20人超。よく読んだなあ)の書いたものや新聞記事などの引用や出来事の説明。興味のない作家が知らない場所を書いていると、興味が続かなくて、ときに飛ばしました。そこは上記の路上観察考現学の書き手がサービスにつとめ、読みやすくしているのと好対照。くわえて、著者らは現に住んでいる人をインタビューしないので、バブルの繁栄の中にいる人たちが何を考えているか、何を記憶しているかはいっさいわからない。あの時代の底抜けの明るさや狂騒にありながら、本書の印象は諦念や静謐であり、悔恨や郷愁である。
 代わりに、文学に記された街の記憶を引用すること、三面記事になる犯罪を記載すること、貧民・娼婦・病人・朝鮮人などの虐げられた人々の記憶を呼び覚ます(くわえて共産主義運動への弾圧や虐殺も記録する)。大雑把に言うと、日露戦争のころから工場が作られ、折からの不況とあわせて大量の労働者や無職者が東京に流入。各地に貧民街や外国人労働者のスラムができた。それは都市計画や再開発の名目で繰り返し排除される。彼らを支援する大衆運動や労働運動も警察などが弾圧する。目につけられたものは不当裁判で拘留し、死罪にしたり、人知れず殺したりもする。節目になるのは、関東大震災、東京空襲と戦後、東京オリンピック。また、男性労働者の流入や軍隊の駐留は歓楽街を作り、娼婦(ママ)が就業する。時に権力が集め、時に権力は排除する。外国人労働者や集住地域は差別やヘイトクライムのターゲットになった。関東大震災後もこういうヘイトスピーチが依然として残され、ときどきヘイトクライムになる。

「昭和20年には『朝鮮人の白い衣服姿は敵機への合図である』などといったデマがささやかれ出す」(P362)

 この一文が示す事情は知らなかったので、とても暗鬱な気分になった。

 さらに、ハンセン氏病療養所について。原因と治療法の知られていない時代には患者への露骨な差別と排除があり、家族ともども苦しめる。戦時中は、収入のない彼らが短歌ほかの投稿で得た賞金を強制的に徴収する。病気の理解が進んだあとも、彼らへの差別と排除は続く。精神障碍者にも同じような行政が行われる。

「戦前の日本にもらい患者という『ユダヤ人』はいたのであり、アウシュヴィッツは日本国内にも存在したのである。」(P364)

 この告発は厳しく受け止めなければならない。

(「らい予防法」が廃止されたのが、1996年。患者や家族による新権侵害告発の運動はまだなかった。「ヘイトスピーチ解消法」が施行されたのが2016年。全国的なアンチ・ヘイトの運動が始まるのは2013年以降。本書の告発を受け止めることを1980年代のわれわれはできなかった。)