odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

佐藤卓己/孫安石 「東アジアの終戦記念日―敗北と勝利のあいだ」(ちくま新書)

 「昭和20年8月15日正午、快晴酷暑のなか、玉音放送が流れ、日本人は一斉に頭を垂れた」というのが終戦や敗戦のイメージ。そこに皇居前の玉砂利で土下座する人々の写真(東京空襲や原爆のきのこ雲なども)を加えて、ビジュアルイメージが完成する。でも、それは東京中心、皇室や政権中心の見方ではないか。たとえば、井上ひさしは快晴に異を唱え、東北は曇りであったことを当時の気象情報を調べて確認する。あるいは、フィリピンで俘虜になっていた大岡昇平はすでに6月ころには敗戦を確信していた。上海にいた堀田善衛は8月11日には中国人に祝賀ムードが現れていたのをみて敗戦を思い知らされる。という具合に、「国外」をみると、「8.15」を特異日にするのは日本だけのことではないか。実際、中国9/3、台湾10/25、フィリピン9/3、シンガポールとマレーシア9/12、タイとビルマ9/13という具合に、終戦と占領からの解放の記念日は日本とは異なるのである。ただし韓国と北朝鮮は「8.15」を「光復節」等の記念日にしている。
 なぜ「8.15」が終戦と追悼の日になったか。国際法などを勘案すれば、ポツダム宣言受諾の8.14や降伏文書調印の9.2のほうが終戦の手続きを確認するのにふさわしい。しかし玉音放送が行われただけの「8.15」が記念日になった。それをメディア報道で検証したのが、佐藤卓己八月十五日の神話」(ちくま新書)であるらしい。あいにく未読だが、ここでも簡単に触れられている。単純化すると、1963年に「全国戦没者追悼実施要項」が制定されてそれに基づく国家行事が行われるようになってから(似たような戦没者追悼式は1939年から行われていてラジオ中継されていて、国民のなじみがあった)。くわえてお盆の日という祖霊追悼の日と(たまたま)一致していたためであるらしい。(その結果、戦没者の慰霊と祖霊の供養がごっちゃになって、戦争責任や放棄を振り返るという意義が後退している)。

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 かように、国内では「8.15」の言説は国内でしか通用しないドメスティックな議論になっている。たとえば、
大宅壮一編「日本の一番長い日」(角川文庫)も国内(どころか都心と皇居だけ)のできごとしか扱っていない。 しかし、当時国内であった樺太ではソ連の侵攻のために8月いっぱい戦闘があり、アメリカに占領された沖縄では直接統治が始まっていた。そのような敗戦の受け止め方もグラディエーションがある。
 それを植民地や占領地に拡大したときに、どの日付を終戦と解放の記念日にするかはさまざまな違いがある。それを現地のメディア(主に新聞)を調査して、国家のねらいと人々の意識を明らかにしようとする。取り上げられたのは、韓国と北朝鮮、台湾、中国。いずれ東南アジアやロシアの事例も集められるだろう。上に並べたように、記念日は異なる。東南アジアは法的な手続きや現地の施政権の返還(日本軍の武装解除)などを使用している。東アジアの日本の植民地では、さまざまな思惑や外圧による。
 さまざまな日本の歴史や現代史をよむと、「1945.8.15」で国外(植民地や占領地)の記述はぷっつりと消え、日本軍の外圧から解放されたものの政権を担当する政治勢力がなかったり、代わりに占領した連合軍の意向に振り回されたりしたことがみえなくなる。次に現れるのは、1960年以降の日本の経済的侵略がおきるようになってから。なので、敗戦から十数年の周辺諸国のできごとは「日本人の知らない歴史」になっている。俺も知らなかった。本書はコンパクトにまとまっているので、入門によい。