odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

石川啄木「評論集」(青空文庫)

 石川啄木の創作にはほとんど興味はないが、彼の評論などを読む。青空文庫に収録されているものから、それらしいのを適当に選択した。

 

渋民村より 1904 ・・・ 4/28、29、30、5/1の岩手日報に掲載。啄木19歳。日露戦役が開かれて緒戦の勝利(露軍の戦略的後退)に愛国心が高ぶる。なるほど、日本の愛国心ナショナリズム)の高揚はこのときからか。帝国主義国家としての目標が西洋の帝国主義諸国に「追いつけ、追い越せ」だったので、戦争「勝利」は民族的誇りになったし、「富国強兵」政策の正しさを証しだてるものだったのだ。その背景にあるのは、民族と国家が一致しているという幻想であることと、この幻想が上から押しつけられたもので、市民の政治参加に由来しているのではないこと。啄木も自分と国家を直結するように考えていて、間にある社会やコミュニティに関心をもっていない。ということは、この国では市民は生まれず、いきなり大衆社会になったのだね。

一利己主義者と友人との対話 1910.11 ・・・ 大学生の会話はこういう取り止めのないもので、大言壮語をするものだったな、と遠い目をしてしまった。「利己主義者」が賄い付きの下宿は不自由で外食がいいとか、短歌は滅びるものだとか、命ははかないとか。「飽きたり、不満足になったりする時を予想して何にもせずにいる位なら、生れて来なかった方が余っ程可いや。生れた者はきっと死ぬんだから」という述懐が日本人に生まれたのはこの時代からか。

性急(せっかち)な思想 ・・・ 最近40年(とあるから書かれたのは1910年ころか)、日本人の思想はせっかちになった。おそらくせっかちなのはそれ以前から。という近代批判。「性急な心は、目的を失った心である」というのは明治政府の在り方を端的に示した見方。でも、なぜ夫婦関係だの妻の忠誠などを論にからめるのかねえ。

時代閉塞の現状 1910 ・・・ 表層は1900年ゼロ年代自然主義文学批判。「今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買、淫売買、ないし野合、姦通の記録である」。というのもブルジョアと軍人と政治家がいばり、教育の不均衡と不公正があり、女性の権利が侵害されていて、青年にはなりたい理想も夢もなく就職することばかり考えている「時代閉塞」の現状にあるから。文学者はこの閉塞した時代をまともに見ていない。というのも、「我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである」。つまり、国家と対決してこなかった経験が、閉塞する時代をつくっているのだ。

「かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷(や)めて全精神を明日の考察―――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである。」

 おお、明治のSEALDsか! と感嘆するような冷静な分析と熱い呼びかけ。
 日本は幕府という絶対王政のような中央集権の仕組みだったが、外国からの圧力で近代化することになった。その際にまず帝国主義の国家ができて、諸外国の国民国家と外交や貿易ができるように国民国家の枠組みを作り、「国民」概念を上から押しつけた。明治憲法発布をその契機とみなせるので、啄木が書いたころはわずか20年ほどしかたっていない。にもかからわらず、国家と国民概念は日本の住民に定着・内面化していたし、啄木のような若者には「国家」が自明とは思えない違和感を与えていたのだった(啄木より20歳以上年上の夏目漱石には、啄木のような国家への違和感はないようだ)。

所謂今度の事 ・・・ 1910-11年の大逆事件幸徳秋水事件に関する感想。無政府主義を擁護できないけど(官憲がうるさいし)、彼らが掲げる相互扶助の理想は理解可能だよ。啄木が20代半ばの文章なので深みはないから、サマリーはこれくらいでいいや。気になったのはこの時代にはすでに無政府主義社会主義に対する嫌悪が国民感情になっていること。1880年代の自由民権運動を叩き潰してから、この国は反政府にならない思想教育や監視を強めていたわけだが、20年もすると完全に定着しているわけだね。色川大吉「日本の歴史21 近代国家の出発」(中公文庫)-2の感想にも書いたが、この国は帝国主義国家として近代化され、反民主主義と反社会主義(反共産主義)が愛国心の核心として作られたのだね。

日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象 ・・・ 明治43年(1910年)6月からの大逆事件幸徳秋水事件の記録。記事差し止めになるなど、警察は情報統制をしていた。容疑が固まってから、社会主義無政府主義への誹謗とプロパガンダを開始。事件の関係者に荒畑寒村がいた。事件の最中は投獄中のために起訴されなかった。詳しくは、荒畑寒村「寒村自伝 上」(岩波文庫)-2 を参照。
 この事件を口実に、「文部省は訓令を發して、全國圖書館に於て社會主義に關する書籍を閲覽せしむる事を嚴禁したり」(1910/8/4)と思想統制も強化される。

 

 啄木20代前半とあって、分析や思想に深さを求めるのは酷であるが、しかし観察と指摘は思いのほか鋭い。それは啄木が地方と都市を知っていて、上層と下層を共に行き来するありかたをしていたからだろう。どこかひとつの場所や階層にとどまらずに放浪者で余所者のように、時世と社会を眺めることが彼の見方に凄みを与える。そこから更なる分析をするには、当時の日本にはツールがないので、ほぼ同年齢のエンゲルスが「イギリスにおける労働階級の状態」を書いたようにはいかなかった。あるいは荒畑寒村のように「谷中村滅亡史」を書いたようにはいかなかった。
 なので、ここでは啄木自身を語るよりも、アーレント全体主義の起源」などを参考にして啄木の目を通した日本を見ることになる。すでにサマリーに書いたように、遅れて資本主義を採用し民族国家を作った日本は、結果として当時の最先端を即座に受け入れることになった。どちらもなかったので、資本主義と民族国家の葛藤を経験しないまま帝国主義国家になり、海外植民地の獲得も1880年代から進める。のちに反共主義にまとめられるようなレイシズムと排外主義が政策になり国民に浸透する。「権力への自由」を求める運動を経験しない国民は市民にならずに、孤立化アトム化した大衆になる。アーレントの分析を使えば、西洋が100年以上かけた全体主義国家の誕生に、日本は半分程度の時間しか要しなかった。
 啄木は、まるで大日本帝国全体主義国家化を見届けることになった21世紀の若者のよう。こういう移り行きは見てとれるようなレポートを後世に残した。

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