odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-2

2021/05/25 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-1 1995年の続き

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  黒服のいうこの「私」を笑う未出現者は、たとえば受精しなかった精子。受精の競争で数億の精子からひとつだけが選ばれて、ほかの精子はなににもならない(たぶん体内で溶かされて吸収される)。そのような精子の亡霊がこの宇宙で存在しているこの「私」を弾劾したいし、存在の不快・生の悲哀にあるこの「私」を笑っている。なぜ、このような指摘と弾劾ができるのかというと、黒服こそ第七章「最後の審判」にでてきた「はじめのはじめの単細胞」だから。
(矢場の話の登場人物が、小説の登場人物の前にあらわれる。小説のキャラクターのレベルを壊した。第9章が発表されたのは1995年。当時にはキャラクターのレベルを壊す小説はあった。筒井康隆「朝のガスパール」1991年。ミステリーには竹本健治「匣の中の失楽」1983年など多数。いわゆる純文学では珍しいのではないかと思う。これは新しい小説の技法を使ったというより、「未出現者」「無出現者」もまた存在(宇宙)にアクセスできる、その逆も可能という考えの延長にあると思う。まさにここで未出現者が存在の前に現れた。ちょっと冷静になると、実写映画にマンガのキャラクターが登場して、俳優と踊ったりかいわしたりするようなもので、ほほえましい。)
 黒川は黒服にかみつく。あんたは20数億年前の出現以来、考えに考え続けているわしいが、与志の考え(一回限りで生命史で初)が出てくるのを許すほど、きちんと考えていなかったのではないか、恥ずべきだろう、と。安寿子も誕生祝いに来たのだから、黙っている青服もなにかひとこと言えという。
 これは禁断の質問。青服は「すべて(虚在や虚体を含む)の以前の以前」のみ存在のまま停まって、いらいずっと黙っている「ない」もの(ここで矢場や黒川らのいう滅亡や消滅の前に発する最後の一語、それを発すると存在が消滅するという、と思い出そう。黒服も「いってはならない自己告白をするまではしゃべっていられる」と老人にいっていて、青服の沈黙から出てくる言葉は自己告白に他ならない。
 「ない」ものは「嘗て「ある」ものから「ない」ものとなり、そして、今、「などのに、まぎれもなく「私」の夢のなかに『ある』ものにほかなりません(P398)」。それが大宇宙のなかにさまざまな宇宙(亡霊宇宙とか存在宇宙とか花火宇宙とか重力宇宙とか)ができるのを眺めてきた。さまざまな宇宙の花火の創生は消えるか、というと、「すべてを忽ちかき消してしまう巨大な掌」がのっぺらぼうの大宇宙をなでるとき、花火は消える。
 ここから先はよくわからない。安寿子は「全宇宙はじめての創出、はどうなるか?」と問う。

――そう、そうです.その巨大な掌とやらで、それも、果たして、忽ちかき消されるでしょうか……?
――ほう、何が、はじめて全宇宙に創出されるのでしょう……?
――与志さんの、虚体です!

 高志、黒川、首らがいうような与志は「全宇宙はじめての創出」をずっと考えている。具体的なところはわからないままなので、与志のことはおいておこう。ここでは青服の話にでてくる大宇宙ののっぺらぼうをなでる「すべてを忽ちかき消してしまう巨大な掌」の異様さに注目。これまで存在の不快・生の悲哀を克服するために、生物、時空間を否定して、非在を検討し、さまざまな宇宙を内包する大宇宙を構成し(それは夢や幽霊や亡霊と親和性があり)、大宇宙の無限にいたる。その無限をなでる巨大な掌。存在のレベルを上げていくインフレーションが起きている。無限は虚在や非在の属性であったが、ここでは無限が虚在や非在の原因・動因になっている。属性や現象の説明が原因・動因に転化する。やはりここは思考のトリックのように俺は思えるなあ。
 重要なのは安寿子が与志をようやく「理解」しえた、ということ。黙り続け、ろくに説明することもない与志は読者にとっても得体が知れないのであるが、それを安寿子は全面的に肯定する。第八章の後半に夜の闇に浮かぶ「ひと」の顔をみる。そこからの劇的な転換が安寿子にだけ起きる。唯一の自己変容を果たした人物で、ドラマは彼女にだけあった。この変容を果しえたことで、物語とテーマはすべて語り終えた。

 

    

 2021/05/21 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-3 1995年 に続く