odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-1 第3日朝、安寿子18歳の誕生日。なぜ男と女があるのか。

2021/05/27 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第八章 《月光のなかで》-2 1986年の続き

 

 第九章《虚體》論―大宇宙の夢(第3日朝)
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 当日は安寿子18歳の誕生日(成年を認められる日)。津田家に安寿子が呼んだ列席者が集まり、舞踏会も行ったホールの中央のテーブルに集まる。テーブルの短い端に津田康造と首が向かい合う。康造の左隣から亮作老人、与志、安寿子、津田夫人が座り、右隣には黒服と青服(第二章の三輪の祖母の葬儀で亮作と立ち話していた)、黒川、岸博士が座る。黒川は首の依頼で円筒形の金属を持ち込み、テーブルの上に置いた。中身は何か知らないという。

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 夫人が怒るのは、安寿子が招待したのはみな「男」であり、しかもこの数日で初めて会った者が含まれ、あまつさえ夫人の嫌う首猛夫を呼んでいたから。安寿子は与志を理解するためにこれまでに話をきいてきたが、それでも与志がわからないので説明してほしいからだという。最初の質問は「なぜ男と女があるのか」。
 この質問が出てくるのは、第四章と第八章の経験があるから。これまでは三輪家の四人が「吾は吾なり」の不快とそこからの超出について語っていたが、肉体嫌い・子供嫌いの男が語ることは観念的で他者の入る余地がない。でも女性のまえには子供がいて、幼児がいる。それらを受け入れるとなると、とりわけ高志の食と性の嫌悪は克服するべき思想となるのだ。
 首猛夫は、男と女は最初の単細胞が接触したときに、相手を食うか、接合するかの関係を持つことになった。それは原始地球に隕石が落下し、莫大なエネルギーの流出によって単細胞が生まれたという自然の刑罰であるという。一方、津田夫人は

「《愛》は、「男と女」の問題より、先にあって、生の出発点の最先端のはしのはしにすでにある(P359)」

と反論する。ここは首のシニカルな皮肉より、夫人の実体験に基づく認識のほうが正当だと俺は思う。加えて、岸博士はガラス玉を安寿子に渡して、与志に握らせその上に手のひらを重ね、強く握れという。そのガラス玉が与志の象徴。宙に投げても重力から逃れられない、宇宙から脱出できあにと諭す。なるほど、ここまで三輪家の兄弟は方法的懐疑と独我論を語り明かしたのであるが、岸博士は素朴実在論で対抗したわけだ。ガラス玉を自己とするとき、肉体や時空間の制約を超えることができず(重力にとらわれている)、自己自身では宇宙を超越することができない。
(ここから先、首と津田夫人は語らない。しゃべることが無くなって、物語から退場)
 そこに、「ちょっと待った(とは言わないが)」と異見を述べるのは、黒服。正体不明で亮作老人以外は誰も知らない。黒服が言うには、重力に引かれておちるのはまれな例、という。重力から逸脱すのはあって、虹とか夢(過去の章を見れば幽霊もそうか)。なるほど重力に引かれるものはそうかもしれないが、宇宙的なものの存在とアクセスできるのは夢においてのみだ。夢の方法を使えば、「存在しえぬ存在」「存在しえなかった存在」「未出現」「無出現」が宇宙にあることがわかるのであり、この「私」もあちらの無出現者に笑われているのである(第七章「最後の審判」参照)。
 ここでうーんとうなってしまうのは、虹や夢(あるいは幽霊)のような「存在しえぬ存在」は存在を認識する「私」「吾」なしにはありえないのではないかということ。第五章の高志の枕元にでてくる幽霊だって、高志の認識においてのみ見えて会話したのではないか。第九章より前の章の議論をおっていると、それまで現象だった夢(あるいは幽霊、亡霊、虹)が原因に転化しているように思える。先取りすると、この先の黒服の議論では「無限」が未出現や無出現のいる場になるのだが、無限も当初は宇宙の属性だった。長い長い考察の果てに、属性や現象が原因になってしまった。
フロイト精神分析でも、分析の果てにでてくる「無意識」がのちには心理の原因・動因になってしまったのと同じことが起きている、のではないか。)


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 2021/05/24 埴谷雄高「死霊 III」(講談社文芸文庫)第九章《虚體》論―大宇宙の夢-2 1995年に続く