odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

埴谷雄高「政治論集」(講談社)-1

 埴谷の青年期の経歴は「青年期に思想家マックス・シュティルナーの主著『唯一者とその所有』の影響を受け、個人主義アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作『国家と革命』に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体「全農全会派」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりのため1932年に逮捕された。検挙後埴谷は未決囚として豊多摩刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された」とのこと。

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 そのために、1933年の日本共産党スパイ査問事件には関与しなかったが、加害者・被害者の双方になじみがいた。そのせいか、政治(とりわけ革命を行う党)について具体的な問題に即して語ることが多い。スターリン主義や官僚制に反対するので、当時の共産党には敵対的。反スターリン主義を掲げる新左翼にはシンパであった。1970年代には中核派革マル派のテロの応酬を仲介する勧告文の起草や提案を行ったが、本書ではそこまでの文書は含まれていない。

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序 政治をめぐる断想 1951.03 ・・・ 「近代文学」には「各人はその最高力作を寄せること」「各人の政治的立場は自由とす」の規約があった。で、埴谷の政治に関する断章が続く。権力者論は21世紀にはあわないのでどうでもいい。この時代のアンティファにとって「政治」は社会運動なのとあわせて、党派運動だった。なので、あるイシューの社会運動に党員獲得や勧誘目的の活動があったり、運動の指導部を乗っ取って自派の団体や組織にしようとする活動があったりした。レーニンの運動論や宗教活動のノウハウが紛れ混んでいて、容易に排除できなかった。また長年運動を続けていると成果の乏しさと弾圧への対抗で、暴力行動を起こすようになることもあった。そういうのが「政治」の問題として扱われていた時代。

第一部 政治と革命の本質
政治のなかの死 1958.11 ・・・ 政治は複数の党派の抗争という見方にたったときに、政治の間から生じる死について。粛清や強制収容。たとえばベリヤ。書かれた時代からするとハンガリー動乱に抗議しない運動体への批判が含まれているかな。

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敵と味方 1959.02 ・・・ 「やつは敵だ。やつを殺せ。」の格言が生きている政治における死。党員が非党員を人間扱いしなかった体験。とくにロシア革命以後、レーニンの理想が失われていく過程における場合。その克服を哲学や認識などにもとめる。

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指導者の死滅 1958.07 ・・・ タイトルとは逆に「政治的指導者たちがいかにして死滅しないか(P91)]について。で、レーニンはよかった、「国家と革命」は「過渡期におけるプロレタリア独裁、無階級社会の到来と国家の死滅、これらの過程について」に優れた著作だという議論が出てくる。俺はレーニンからしてだめだと思うので、すっとばしました。

革命の意味 1959.11 ・・・ 権力を打倒し国家を消滅する目的の革命が新たな抑圧と監視の国家を作り上げ、政治指導者が独裁者に転化する逆説について。第1部の論文は60年安保の前に書かれたもので、反対運動を推進する側を批判するものになるが、反響はどうだったか。安保の本を読むとほとんど言及されていなかったと記憶する。

 

第二部 現実政治の狙撃
古い文章・『農民委員会の組織について』 1931 ・・・ 若い埴谷が農民運動を行っていた時期の文章。組合とは別に、闘争のための農民委員会を作れという提議。

全学連と救援運動 1960.03 ・・・ 江藤淳の「安保法案には反対だが、全学連の行動を認めないので逮捕者の救援活動はやらない」に対する反論。これは「党側は自己の党派に属せざる人員を一つのレッテルのなかに見事に位侭づけることに専念」と同じ偏狭な考えで運動に分断をもたらす。おれは、動機をもって行動の是非を決めるやり方もだめだと思う。(なにかの運動に関与するしないは好き勝手にやってよいが、やらない理由を表現するのはどうかと思う。やらないなら黙っていればいい。)

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六月の〈革命なき革命〉 1960.08 ・・・ 6月の安保反対の国会前運動に対する愚痴(自分の描いたようにならない運動の愚痴をいうのはだめ。こうなればいいと思うなら、それを自分でやれ)。

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デモについて 1959.12 ・・・ デモは秩序を守るが、ときに思惑を超えて暴徒化し政権打倒にいたることもある。コントロールしがたくて、難しいなあ。

選挙について 1960.11 ・・・ 選挙は大切というが投票したい人がいないので億劫だなあという投票率80%のころの愚痴。それより大衆の組織化をというが、羽仁五郎のように投票は野党第一党に集中しろとか、落としたい候補ではない候補に投票しろとかの呼びかけのほうが大事。ことに投票率が50%台になって、組織票でへんてこな候補が当選している状況では。

若者の哲学 1962.03 ・・・ 1960.6.15国会前の様子。

自立と選挙 吉本隆明への回答 1962.05 ・・・ 革マル派黒田寛一が選挙に立候補したときに、埴谷の名前を自由に使っていいといったことに対して知識人(井上光春、花田清輝ら)から批判があり、そのなかで吉本隆明の批判にこたえる。革マル派がテロを始めるずっと前のこと。埴谷のはよくわからない正当化。

共産党共産主義 1964.08 ・・・ 軍隊組織に似た組織と運営をもつ革命党は改善できるか。自己批判から自己否定に至る存在の革命が必要、なのだそうだ。

象徴のなかの時計台 1969.03 ・・・ 東大安田講堂の攻防をテレビで見ていての感想。

 

 共産主義イデオロギーが優位であるとか、革命が必須であるとか、党は無謬であるとかの議論は終ってしまった。どれも誤りだった。理論としても実践としても。そうすると、1950-60年代の共産主義イデオロギーに依拠した議論を当時と同じ熱意を持って読むのはつらい。たとえば、宇井純「公害原論」にある住民運動や21世紀になってからの叛乱や大衆運動などは、党やイデオロギー依拠の運動を乗り越えてしまっている。となると、ここにある文章は当時の雰囲気を思い出させる歴史的文献としての価値しか認められない。

 

    

 

2021/06/17 埴谷雄高「政治論集」(講談社)-2 1973年に続く

 

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