odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-1

2021/07/08 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第一章 癲狂院にて」 1948年の続き

 

第二章 《死の理論》 (第一日午後)

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 その日の午後は、三輪家の祖母の葬儀が予定されている。「風癲病院」を抜け出した首が向かったのは津田家。彼は出かける前の津田康造に「宣戦布告」をする。時間をかけて化粧した津田夫人は首の話を聞きたがり、津田夫妻の乗る自動車に首をのせるが、首は途中で降りる。墓地には先にきていた津田老人(亮作)が青服黒服と話をしている。遅れて与志と安寿子が到着(与志が墓地に来る途中で若い女性と赤ん坊を見て不機嫌になったため)。葬儀が始まり、地下納骨堂に収めたあと、与志は喪主であるにもかかわらず勝手にでていってしまう。

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 津田夫人は娘の安寿子のいいなづけとなった与志を知りたがるが、無口で突拍子もない行動をとり、何に関心を持っているのかわからない与志を理解できない。そこで、夫の津田康造や三輪夫人、首、安寿子らの話を聞くが、彼らの話もわけがわからない。理解が及ばない。それでも彼らの長広舌を聞いているうちに影響され、もしかしたらいち早く与志を本質直観しているのかもしれない。たとえば与志を玩具をもてあそぶ子供となみなすところ。あるいは

「与志さんの掌に握りしめられているものが癇癪玉のようなもので、あまり強く弄ぶといきなりばんと破裂して――当の与志さんばかりか、一緒になって覗きこんでいる者まで怪我をさせやしないか(P234)」

と心配するところ。まさにそのような事態が後の章で起きるのであるが、いまは彼女のふいと出た言葉が予言であることをしっておくまでにしよう。
 首猛夫が津田康造警視総監に「宣戦布告」を宣言し、その内容は「死のう団」であるという(まさにその名を名乗る団体が問題行動を起こしていた)。

ja.wikipedia.org


 もちろん首はそんな「現実」には影響されていない。なにしろ現代(20世紀前半)は死の時代であり、戦争と革命の時代。破局への情熱を秘めている時代なのである。そこにおいて死の福音を解くのが自分の役目であるという。いささか奇妙な、あるいはテロリズムに傾斜した考えであるのは首猛夫の前歴にありそうだ。彼のあいまいな言によると、囚人の立てた寒い収容所(か刑務所)で一冬を過ごす際に、手の指が凍傷になり骨まで見えるほどになる。医師にみせてもそこらの布切れを包帯にして巻いとけと言われるだけ。そういうしかない医師に同情するとともに、首はひとかけらの綿屑は存在の中心であるかのような寒冷の中の瞑想を体験する。

「(悪魔は)吾は吾なり、という主辞と賓辞をまったく巧く使いわけた違った声音でいってのける芸当さえ出来るんです。あっは、なんて小癪な奴だろう。僕はこいつを締め殺して、俺は死んだ!といわせ得たら、全人類、全宇宙をそのために交換したって少しも惜しいと思わないんです(P245)」

 彼が津田康造警視総監を宣戦布告の相手にするのは、どうやら高志のいるグループと一緒に行った社会運動の弾圧の責任者とみなしているからかもしれないが、首によると津田は「アジア的思考様式の極点」であり「大地に密着した農夫の思考」「1=1の思考」「すべてを受け入れる思考」であるためであるという。首の体験したような極限状態で、存在の極点をかいまにみるような体験をしたものにとって、すべてを受け入れるあり方(実際、津田は首の追及に一切反論しないし、紳士的な態度をくずさないし、逮捕や確保などを部下に命令しない)が凡庸そのものであって、受け入れがたいのである。津田の背後に、大日本帝国の何でも受容し、しかし一切変わらず、無責任に他人を苦しめる仕組みを見ているのであろう。 

     

    

 

2021/07/05 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-2 1948年に続く