odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第3章幸福の追求、第4章創設(1)自由の構成

2021/11/16 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第1章革命の意味 1963年
2021/11/15 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第2章社会問題 1963年


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第三章 幸福の追求
 ここでは公的自由について論じられる。自由にはいくつかの位相があって、世界の圧力から意志的に逃れることができる内部的領域、意志に二者択一の選択を命じる選択の自由、市民的自由(のちに生命、権力から解放される私的な自由、財産)、さらに公的自由がある。公的自由は公務に参加して、討論・審議・決議すること。アメリカでは公務そのものが幸福(ハピネス)とされた。公務において他人より優れていることを示すことが目的になっていたから(これは西部劇や開拓時代の映画、ポーの小説のいくつか「おまえが犯人だ」にある)。アメリカ革命で憲法をつくった際に(これを作る過程そのものが公務で幸福)、それまで「公的幸福の追求」としていたのを「幸福の追求」を書いた。そのために、のちの人々や他国の人々は混乱し、幸福を私的幸福(おもに自由と財産と消費)と誤解した。フランスでは公的領域が狭かったので(絶対王政が代行していて参加できない)、アメリカのような公的自由やそれを幸福と考えることがなかった。それに公的自由を行使するのは、立法議会にまとめるか、革命を続けるかという議論になった(革命の時期に自然発生するグループにおいてはパブリックに関する議論・討論・決議が実行されたから)。革命は貧窮を解決しなかったが、経済において貧窮の対策がなされるようになった。そこから18世紀の革命の市民(シトワイヤン)は19世紀の私的個人に変わる。そこにおいて公的自由の問題はみえなくなっていった。
(公的自由や公務の幸福は、サンデルの本でカバーするようにしよう。マイケル・サンデル「公共哲学」ちくま学芸文庫や小林正弥「サンデルの政治哲学」平凡社新書が手軽。

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 多くの統治形態で、市民的自由(私的自由)を制限しないのは、経済の自由主義を侵害することにあるのだろうが、加えて私的自由の制限が公的自由を求める活動を活発にするからなのだと思う。個人が公的自由を行使すると必然的に党や政府を批判するようになり、路上の抗議に転化する。多数者の代表であるとして少数者が人民を管理するときに邪魔になる。同時に、私的自由を享受している人の多くは公的自由を行使することを面倒と思ったり、嫌悪したりする。公的自由は組織や個人から攻撃されやすい。)

 

第四章 創設(1)自由の構成
1.革命は解放を目指す蜂起の第一段階のあと、自由の創設を目指す構成(コンスティテューション)の第二段階がある。通常は第一段階が注目されるが、第二段階のほうが重要。ここで権力システムと人民の自由が規定されるから。構成は蜂起や解放の面からすると革命的には見えない。立憲政治の自由(リバティ)はネガティブ(権力の濫用からの免除や保護)であるが、人民が政府を構成するときに依拠する憲法を作ったフランスとアメリカ革命では、自由の意味が異なる。とくにアメリカでは、イギリスの制限君主制権力の空白を阻止するために憲法作成(コンスティテューション)に熱中した。そこでは市民的自由の規定よりも、新しい権力システムの樹立が重要。権力の濫用を許さないために、権力の制限を規定するより、新しい権力を生み出すメカニズムを統治の中心に入れた(というのは、13の州権力と連合国家の権力の分立と均衡が必要だったから。どこか一つが専制できない仕組みにする)。もともと人権はもイングランド人の権利だったが、ルーツの異なる移民に付与するうちに万人のものとなり、万人が制限された立件政府のもとに生活する。こうした考えのベースはモンテスキューで、彼の政治的自由は「私が成しうる(ザ・アイ・キャン)」だった。
(前の章の公的自由の考えと合わせて考えること)
 フランスでは、生まれたことによって一定の権利の所有者となるという考えであって、政治体の外に権利は存在する。

2.18世紀の二つの革命は不在になった国王の権力の座に市民がついたが、法と権力の源泉とされる絶対的主権者の問題が生まれた。市民そのものが主権者であるが、絶対者は国民の意思、多数決による多数者の意思なのか?
(この章では、革命は復古として始まり、自由の創設ではなく古代の自由と諸権利の回復を目的にしていて、いつ革命に転化したかは当事者や指導者もわからない。アメリカ革命は貧困問題がない国で、自治の経験のある人々によるという幸運があった、という指摘が重要。)

 

 オバマが大統領選挙で「Yes, we can.」を連呼していて、俺はそれを政治的自由の参加意識を強めるためのものくらいに思っていたのだが、アメリカの共和主義の伝統にあることばで(ケネディの「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」も同様。日本だと、これは翼賛の意味にされる)、モンテスキュー由来だったのね。政治と哲学の歴史の蓄積をさっぱり理解していなかった。
 1960年代の「公民権運動」も自分には理解しがたい考えだったが、ここを読んでわかった気がする。これはマイノリティが差別撤廃を訴えるのと同時に、「公的自由」を獲得する運動であるわけだ。

 

2021/11/11 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第4章創設(1)自由の構成(続き)、第5章創設(2)時代の新秩序 1963年
2021/11/09 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-1 1963年
2021/11/08 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-2 1963年