odd_hatchの読書ノート

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牧野雅彦「精読アレント「全体主義の起源」」(講談社選書メチエ)-2

2021/11/26 牧野雅彦「精読アレント「全体主義の起源」」(講談社選書メチエ)-1 2015年の続き

 

 ここからは20世紀にはいってからの記述。

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第三章 帝国主義国民国家体制の崩壊――『全体主義の起源』第二部「帝国主義」(承前) ・・・ 帝国主義を海洋型(イギリス、フランス、アメリカ)と大陸型(ドイツ、オーストリア、ロシア)に分ける。後者は中欧東欧の民族混合ベルト地帯」から生まれた。土地と民族の関係が希薄で農民の支持がなかったので、国民国家(階層の利害を代表する政党が複数あり議会で政策を決める仕組みを持つ)にならなかった。そこから種族的ナショナリズム(現実から遊離、自己の内面世界に集中、政治的に「敵の世界」を想定し、自民族を選民と規定し、共通の人類の存在(キリスト教教義から導かれる)を否定する。政治的な特徴は法の無視、無法性のイデオロギー的正当化、官僚の恣意など(ドストエフスキーカフカの官吏や官庁を想起)。種族的ナショナリズムは階層を超え、政党の外にいる人たちを運動に巻き込み、国民国家を解体した。WW1で国家は再編されたが、民族混合ベルト地帯では民族ごとの国家はできなかった。そこで生まれたのは、民族的少数者と無国籍者(亡命者、難民、強制移住など)。彼らはコミュニティを剥奪され、人権の元である人間の条件を失った。マジョリティのコミュニティと共通しないので、彼らは人間以前の動物、犯罪者とみなされる(ヨーロッパではユダヤ人がそうなった)。
帝国主義を海洋型と大陸型に分ける視点は重要。日本の帝国主義は地理的には海洋型だが、実質は大陸型とみた。種族的ナショナリズムから人種主義に拡大するのは、ナチズムやスターリニズムより早く、朝鮮や満州にいったモッブや官吏によって形成された。民族浄化も早く行われた。また植民地の官僚制や無法性、人種差別などの帝国主義が本国の政治に影響したのも、フランスなどの海洋型帝国主義と同様。そういう点では、日本の帝国主義は外からもたらされたが、形式では西洋国家よりも純化されているのではないか。)

第四章 全体主義の成立――『全体主義の起源』第三部「全体主義」 ・・・ 帝国主義は階層を破壊し、人々を原子化する(分子でも細胞でもないことに注意。孤立・単独になる)。そこから政治的に組織されていない(政党の外にいる)巨大な人間の集積である大衆が生まれる。モッブの中から全体主義の扇動者・組織が出てくる。彼らは大衆を運動にまとめる。手段はプロパガンダ。仮構と現実をあいまいにし、陰謀論によって穴埋めをする。そうして故郷喪失者である大衆に居場所を与え、自己規定と自己同一化をもたらし自尊心を取り戻させる。イデオロギーは重要ではなく、生きる運動の渦中にあると思わせること。運動が壊れると狂信や熱狂は一度に醒める。この全体主義運動は共通の形態をもつ。リーダー-側近-(壁)-エリート-一般党員-(壁)-同調者(シンパ)。強いヒエラルキーがあり、リーダーや側近が仕掛ける内紛や内戦で常に流動的。エリート以下の構成員はイデオロギーは重要であるが、リーダーや側近はイデオロギーから自由でとらわれない(いつでも書き換えられる)。暴力集団は運動から粛清される。党員以上にとっては、反ユダヤ主義が実存に関わる重大な問題であった(ユダヤ人でないことが党員になる資格である)。
アーレント全体主義運動の分析は、日本の人種差別団体を最もよく理解する手掛かりになる。団体の組織構成や運営方法はここに書かれたとおり。カウンターがレイシストイデオロギー対決にこだわらず、運動そのものを分断・破壊することと同調者への周知に注力するのは適切な戦術なのであった。)
 全体主義では運動と政府が同時にあるのは矛盾であり、世界征服vs限られた領土、不安定vs安定、非日常vs日常で揺れ動きがあり、前者が選択される。国家機構の二重化・多層化・流動性があり、公式政府と実質的な政府の二つが作られる。反功利主義が実行され(生産よりも粛清が優先など)、約束と現実が常に乖離される。秘密結社化した組織が実質的な指導部となり、テロルを行う。実行するのは秘密警察と強制収容所強制収容所において全体主義が完成する。
(このような視点に立つとき、ナチスソ連には強制収容所があったが、日本にはないとみなされがち。しかし、朝鮮人強制連行や現地での徴用、「従軍慰安婦」はアーレントの説明する強制収容所に当てはまると思う。)

 

 

 通常、全体主義民族浄化強制収容所、死体工場は偶然的な産物であるとか、指導者や側近エリートらの狂気として説明されることが多い。しかしアーレントはそうではないという。国民国家を解体する資本の動きの中からモッブや官僚などによるナショナリズムと排外主義の運動が大衆を巻き込んだ先にある全体主義の必然的な帰結なのだ(大衆運動の有無で、全体主義独裁制を区別する視点は重要)。国家や資本の功利主義を無視した自己破壊的な運動と政策がそうさせるのだ。あれらは狂気の産物ではなく、全体主義の勝利を象徴している。
 アーレントが分析する対象はヨーロッパのナチズムとスターリニズム。イタリアのファシストは簡単に触れられる程度。そのために、全体主義である日本と中国(本書がでたあとのカンボジア)の事例が漏れてしまった。特に日本の場合。サマリーに合わせて感想で書いたが、共通するところが多々ある。一方で、全体主義運動といえるような大衆運動はほぼなかった。といって軍部独裁をするには国民の支持が大きい。そこらを交えて日本の全体主義を考えたほうがよいだろうなあ。
 また21世紀にめだつようになった極右のレイシズムや排外主義運動を考える際にも、アーレントの分析はとても参考になる。彼らの愚行や犯罪をなくすのは困難であるが、現実に敗北すると運動の熱狂が沈静し信奉者がいなくなるという指摘に勇気をもらう。

 

 

2021/11/22 牧野雅彦「精読アレント「全体主義の起源」」(講談社選書メチエ)-3 2015年