odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

夏目漱石「三四郎」(新潮文庫)

 19歳(明治23年生まれ)の小川三四郎は熊本の中学をでて、東京大学文学部に入学する。田舎者の三四郎は東京という都市の、東京大学というアカデミアでとまどってばかり。勉強をするでもなく、趣味に没頭するでもなく、活動をするでもなく、ぼんやりと時を過ごす。心惹かれるのは里美美禰子という謎の女性。何度も会う機会があったが、何一つ進展するわけでもなく(一緒に歩くくらい)、美禰子は見知らぬ男に嫁いでしまう。
 筋のぼんやりさは「猫」だろうし、非人情の住民が人情の世界でとまどうのは「坊ちゃん」だろうし(「おれ」のような積極性はない)、趣味人の間をうろうろするのは「草枕」「二百十日」だろうし、憧れの女史が結婚するのを見送るしかないというのは「虞美人草」だろうし、卒業後もぼんやりして生活に苦しくなりそうなのは「野分」だろうし。という具合に、本書は漱石初期作の集大成、とみた。通常、「三四郎」はのちの「それから」「門」の三部作のひとつとされるけど、そうはみえない。後者はなにかを決断した人たちだけど、三四郎は決断しないし状況に介入しない。その点で、初期作全体の共通した特徴をもつ。
 この「小川三四郎」、注目するのは自分を「新時代の子」と規定しているところ。どこが新時代であるかというと、明治憲法発布の明治22年の翌年、明治23年生まれであるところ。すなわち、明治政府が帝国主義化するようになり、住民を帝国臣民化する政策をとるようになってから生まれた。なので、三四郎帝国主義教育を受けていて、それ以前の人たちとは断絶した意識を持っている。それは日本は西洋よりは弱小であるがアジアでは大国であるとか、国家を重視する意識であるとか、憲法教育勅語などに規定された国民意識を持っているとか(なので、それ以前に生まれた「広田先生」に国家や組織への帰属意識が薄いのが理解できない)。それはこのようなところに顕著。

「我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代の青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。」

 そのうえ、三四郎は自分は都市や学問の余所者で脱落者、倫理性に乏しく、ニヒリズムシニシズムをもっている。彼のような若者は、佐々木与次郎や野々宮宗八の同世代にもいて、明治20年代生まれに共通した特徴に見える。すなわち、ハンナ・アーレントのいうモッブなのだ。美禰子が口にし、三四郎が何度も反芻する「迷子ストレイシープ」はモッブのモラトリアムを示しているとみたい。このあと漱石は「高等遊民」という言葉を使う(はずな)のだが、それはモッブであるとすると理解できる。資本主義が進んで、労働力と生産力の余剰から生まれてくるモッブを日本でいち早く発見し、フィクションに登場させたのが漱石なのだ。漱石自身もモッブのところがあるので、「満韓ところどころ」などで植民地主義に迎合し、住民を差別視することになる。
 という具合に、帝国主義化の進む日本で典型的なモッブを描いたのが「三四郎」。そう読んだ。
 三四郎には数名の女性が登場する。野々宮よし子、里見美禰子、冒頭の汽車で同席する女。彼女らはいずれも19世紀イギリス小説に登場するキャラクターが日本の小説に現れたようなもの。英文学ほかの芸術に教養があり、男がちょっかいを出せないような気品があり、謎めいた表情やしぐさで男を翻弄する(汽車に乗り合わせた女は三四郎と同宿し、一緒に風呂に入り、同衾して手を出さないのをとがめるまでするのだ)。およそ日本には存在できないような主張を持っている人たち(当時存在するとしたら幸田幸くらいしか思いつかない)。妻や母ではなく、献身的でもなく、ジェンダーを感じさせないが、男性を憧憬させずにはおかない女性。里見美禰子は21世紀でいえば二次元美少女なのだ。このキャラクターの謎解きを後の文学研究者や愛好家がやっていると思うが、詮無いこと。そういうキャラを外から持ってこないと、漱石の考える小説にはならないというのが重要。
 1908年初出。東大では運動会が行われていた。これも神前結婚式、唱歌などと同じく、明治憲法発布以後に作られた「伝統」。

 

        

 

<参考エントリー> アーレントの「モッブ」解説。

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<参考エントリー2> 野々宮君の理学実験について。

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