odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

夏目漱石「虞美人草」(新潮文庫) 何をしなくてもぶらぶらできる非人情の世界を生きる人も、結婚問題で周囲の圧力が高まると世間に屈する。

 「坊ちゃん」の「おれ」も「草枕」の「余」も、人情の世界に嫌悪を感じ、非人情の世界を周囲に構築していきることができた。それと同類の人たちで、少しばかり世間の波に洗われている人たちがいる。宗近君、甲野君に小野君。いずれも大学を卒業してぶらぶらしている。宗近君は外交官試験に落ち続け、甲野君は病弱で仕事ができなく、金時計をもらうほど優秀な小野君は博士論文を書くことに没頭している。それでも暮らしは立つので、宗近君と甲野君は東京からわざわざ叡山まで散策と遊ぶことができる(東海道線に一昼夜も乗るというから費用も時間もかかる遊山だ)。
 非人情の世界に遊ぶことができるのは、彼らがそろって独身であり、全員20代と若くて、金に余裕があるからだ。なので、熱中する芸術や学問に浸りきることができ、あいにく同好の士はいなくとも、本によって西洋とつながっていることは彼らの我(プライド)を十分に満足させることができる。(かわりに、彼らの愛好する西洋の芸術や学問になじんでいない人々、人情の世界にどっぷりとつかっている大衆は彼らに嫌悪と恐怖を感じる。この数十年あとのインテリと大衆の分裂や超克の問題はこの時期に始まっている。江戸の知識人のように儒学と邦楽にいそしめば、隠居の爺さんのような尊敬を得たものだ)。

 しかし、世間はかれら遊学のものを放ってはおかない。彼らにも父母や兄弟姉妹がいるとなると、家の存続は重大問題になるのだ。遊学に介入してこなければ結婚にもためらいはなかったろうが、彼らには面倒な三角関係がある。つまり、宗近君は甲野君の妹・藤尾に懸想しているが、藤尾は小野君と相思相愛であり、小野君は天涯孤独の身を養ってくれた孤堂先生の娘・小夜子と許嫁になっている。彼らの周囲は宗近-藤尾、小野-小夜子でまとめたがっているが、中心にいる小野君は藤尾と結婚したい(この女性はシェイクスピアを読み、主張をはっきり言う日本離れした女性)。小野君はついに決心して、小夜子と別れることにしたが、かえって孤堂先生はじめ全員の逆鱗に触れてしまう。小野君は青ざめ、藤尾は卒倒する。
 この人たちに共通するのは、故郷を持っていない人たち・地元との縁を持っていない人たち。小野君は天涯孤独の身、孤堂先生は京都から東京にでてきて二十余年で知友はなく、甲野君の家も父はすでに死亡、宗近君の両親は外交官で外国暮らし。金や知識をもっているから地元になじめず、なじまない。かれらもまた日本離れした家族で個人であると思うのだが、そこにも世間の風は冷たく吹き込み、非人情で暮らすことを許さないのである。
(かれらは洋服を着て洋卓を使い、巻煙草を吸い、ステーキにビスケットを食する。そういう日本離れした生活と文化を持っている人たちだ。なるほどこの「高等」生活は、周囲の庶民の想像を絶する存在だっただろう。一方、小説を離れると、日露戦争「勝利」で大国意識を持つようになり、民族意識ナショナリズムが高揚しだしたころだった。同一化・同質化の圧力はあったのかもしれない。)
 本書では、三角関係のもつれをどう決着するかは当事者ではなく、周囲の圧力で決した。その結果は、インテリの小野君を縮こもらせ、鬱屈させ、野心を一掃させた。藤尾はオフェーリアのごとくなる。あいにく彼らの不幸は周囲の感知することにならず、宗近君は「ここでは喜劇ばかり流行る」と人の死にも冷淡なのであった。まことに命の安い時代であり、人の死を美談にして消費する世間といえる。
 となると、悲劇とするには彼らが我(プライド)を張って生き延びらせるべきではないか。その主題に向かったのが「それから」「門」なのであろう。あるいは女の死は美談とされるが、男の死であれば問題にされるはずであると「心」を書いたのか。前半は「草枕」「二百十日」のごとき非人情の世界、結婚問題が浮上してからは悲劇になる。分裂とみなせるし、漱石の小説を初期・後期に分けるとき、分水嶺と位置付けることのできる怪作。
(小野君にしろ、藤尾にしろ、非人情の世界を暮らすさい、彼らは寡黙である。しゃべらないし、主張しない。しかし結婚を考えだすと、がぜん喋り主張する。でも彼らの主張は「拒否」だけなのだ。この心情はとても日本的。)

 

 方法で気になったのは、前半に現れる美文調の地の文。どのキャラクターの視点にも立たない外部の目によって叙述されている。それは寡黙なキャラクターの心情を推し量る役割を持つが、同時に通俗道徳を開陳する場にもなっている。世間と一緒にナレーションも彼らに問題解決を迫っているのだな(追記。このようなな記述をするのは不在になった猫の「吾輩」と考えたい。「猫」の残留思念が批評をしているのだ。これは冗談だけど、この時代の夏目漱石の文体が要請するもので、この後の夏目漱石はいかに「猫」や外部の目を排除するかに苦闘する)。それが後半になってキャラクターがしゃべるようになると、地の文の美文調は抑えられる。もはや外からキャラクターの心情を推し量る説明はいらなくなったのだ。こういう文体の違いも後の小説に継承されたと思う。
 淀川長治「夏目激石は哲学やからな。説明でしゃべるからね」(「映画が教えてくれた大切なこと」P305、扶桑社文庫)。淀長さんも似たようなことを考えていたようだ。敬服。

 

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