odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

泡坂妻夫「湖底のまつり」(創元推理文庫) 会ったはずの人は存在しない? トリッキーな作品に感心しながらも、社会問題を無視する姿勢に鼻白む。

 1978年に書かれた本書は著者の長編第3作という。むかし最初の長編「11枚のトランプ」を読んで、そのトリッキーな構成に驚かされた。でも、キャラが薄っぺらいなと、軽薄な印象をもっていたが、ここでは内面描写がしっかりと描かれる。その分、物語の展開は遅くなり、細部をしっかりと読むことになる。その際にアクセントになるのは、性愛描写。この時代には、かなり詳細な描写がエンタメ小説で書かれるようになった。

「傷ついた心を癒す旅に出た香島紀子は、山間の村で急に増水した川に流されてしまう。ロープを投げ、救いあげてくれた埴田晃二とその夜結ばれるが、翌朝晃二の姿は消えていた。村祭で賑わう神社に赴いた紀子は、晃二がひと月前に殺されたと教えられ愕然とする。では、私を愛してくれたあの人は誰なの……。」
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488402136

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 という人と村の消失が起きる。第2章では、この物語が男の側から描写される。出来事はほとんど同じなのに、細部が違う。最初の章では、連れ込んだ家は古ぼけていて、風呂をわかすプロパンも少ししかなく、女物の下着が用意されたのに、次の章では連れ込んだ家はまだ住んでいる様子があり、風呂はきれいで、しかし下着は用意されない。それに固有名が異なる。どちらが実際にあったことなのか、どちらかは夢か妄想のようなできごとではないのか。そういう懐疑にとらわれると、すべてが疑わしい。
 第3章は男の服毒死体が見つかった後の捜査。そうすると、若い男(急に金をもち外車を乗り回す)の周囲には、複数の女がいることがわかる。第2章のできごとのあと、妻になったものと、突然白い服を着て男の家を訪れたものと。家に残された手紙には「P」への思慕が書かれていて、それが事件に関係していると思われる。
 最終章はある事件の関係者による語り直し。なるほど、この人の視点にたつと、それまでに記述された事件の地と図は反転して、実際にあったことと、夢か妄想かの区別はなくなって、どれもが実際にあったこととして記述されていたことが判明する。それがわかった時のなんという快感。この世に不思議なことはなにひとつないというヴィトゲンシュタインの言明を思わず口にするくらいの説明(ただし、それを成り立たせるためには、ある偏見が前提になっていて、21世紀にはちょっと具合が悪い。まあ昭和の時代だからね)。
 東北の寒村では治水を目的にしたダムの建設計画がある。下流の住民の費用負担を押し付けて、電力会社が地元有力者のエゴをあおり、分断を図る事態が起きている。そういうのは、昭和30年代によくあったこと。自分は、松下竜一「砦に拠る」(講談社文庫)を思い出していて、地方政治家や村人のエゴにはあきれる。そのような事態は書かれた1978年にはほぼ姿を消していた(ことに成田空港反対運動の影響で)。それでも舞台にすることを作家が考えたとき、社会問題(公共事業の公益性や地方過疎など)をほとんど無視し、男女の愛の交錯を主題にする。こういう社会性の欠如がこの国のエンタメなのだなあ、とトリッキーな作品に感心しながらも、うすっぺらさに違和感を持つ。

 

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