odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

田中仁彦「ケルト神話と中世騎士物語」(中公新書) ローマ帝国が入る前のケルト文明。民族は消えたが記憶は中世騎士物語に残った。

 そういえばヨーロッパのことは、ゲルマン民族の大移動から世界史に登場するのだが、それ以前のことは知らなかった。高校の教科書には載っていなかったので記憶がないはずなので、本書でおぎなうことにしよう。

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 そうすると、考古学的な証拠からすると太古には巨石文明があった。エジプトのピラミッド建設以前にストーンヘンジほかの遺跡を大量に残した民族だ。彼らはかなり前(紀元前5-7000年より前?)に滅んだ。文字を持たなかったし、民族が滅亡(あるいは同化)したので口頭伝承も残っていない。そのあとに、ヨーロッパのかなりの地域に拡がったのが、ケルト民族(本書では彼らが巨石文明を滅ぼしたとされている)。イギリス諸島からフランス北部、ドイツ南部からドナウ川沿いのブルガリアルーマニア、イタリア北部、イベリア半島などに進出した(現在の国名で書いた)。彼らは遊牧を主とした部族社会(数百人程度)を作った。それ以上の社会を作るには、森が広すぎ、農業生産性が低かったためだろう。

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長い間、ヨーロッパの森を支配していた民族であるが、ローマ帝国が大きくなるころに衰退する。ローマ帝国に併合されたり、ゲルマン人に同化したりして、紀元1-2世紀にはアイルランドスコットランドウェールズ、コンウォール、ブルターニュ(フランス北部)のくらいまでに縮小する(書かれていないが、スペイン北部のたとえばバスク地方もケルト文化の影響が残っている)。

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イングランドゲルマン民族系のアングロサクソン系がはいって王国を作り、周囲を圧倒していったので、ケルト民族は政治的文化的なマイノリティになる。ケルト民族は独自の宗教観、自然観を持っていたと思われるが、宗教の要請で無文字であった。しかし、ケルト文化の一部は残る。それはキリスト教布教でこの地(イギリス諸島)にはいった宣教師がケルトの口頭伝承をおもしろがり、文字に起こしたからだ(入ったのが東方のギリシャ正教系だったので異文化や異教に寛容であったためらしい)。修道院に保存された物語は筆写されて残り、12世紀以降には世俗文学として王族や貴族(ことに女性)に読まれるようになった。
 という歴史を抑えたうえで、本書にはいる。主題はケルト文学と中世騎士物語。キリスト教の修道僧が残したケルトの物語では「メルドゥーンの航海」「聖ブランダンの航海」「聖パトリックの煉獄」などが有名。最後の「煉獄」は1200年ころに書かれ、その100年後のダンテ「神曲」に影響しているという(思い返せば、中世のゲルマン民族が残した物語はとても貧弱だったから、これらが相対的に目立つのだろう)。本書によると
・テーマは来世観。ケルト民族は輪廻転生(仏教的な内容ではない)を信仰している。上の物語の主人公も他界・異界を旅して帰還するという輪廻を体験する。

ケルト民族の異界は地上から旅していける遠方(海の上の島が多い)にあるが、途中「妖精の丘」や地下に行くことがある。「妖精の丘」は巨石文明の遺構、地下はケルト民族が滅ぼした巨石文化民族とされる。彼らは滅ぼされたのちに神(地下に住むもの、小人)とされた。

ユングの神話学や集合的無意識は、ケルト神話や中世物語を読み解くよいツールである。

 12世紀以降に中世騎士物語が作られる。もっとも有名なのはアーサー王伝説。これはケルト民族の神の化身である騎士たちの物語だ。ブリトンの地はアーサー王によってもっとも繁栄する。騎士やアーサー王の冒険や戦い、途中に現れる美女や魔女その他のキャラクターはケルトの神々が姿を変えたものだ。しかし聖杯探索の旅に出かけた騎士は帰らず、アーサー王自身はアヴァロンの島に行って死に、魔力を持つ剣エクスカリバーブリトンの沼に沈む。こうしてケルト民族は過去の栄光を失い、アーサーは永遠の存在となりケルト民族の象徴になる。
 こうした物語が好まれたのは、騎士が最も政治的軍事的に重要な存在であったからなのと、当時聖地巡礼がヨーロッパ全体のブームであり、モン・サン・ミシェルサンティアゴ・デ・コンポステーラに行く人々が多数いたからでもある。また、騎士の時代は宗教改革の時代でもあり、人々はこぞって「荒野」に住み、衣食を貧しくし、危険な土地に教会を設立する「苦行」を行っていた(それらが現在の「世界遺産」に残る)。身体を苦しめ、精神の高潔さを目指すところで騎士物語とカルト宗教運動は一致していた。
 これまで中世騎士物語をいくつか読んできたが、ケルト神話とのかかわりは考えたことがなかった。むしろキリスト教の目で騎士の忠誠や僧侶の読解、竜や悪魔退治などを見てきた。なるほどケルト神話を加えることで、この神話的世界の豊饒さがもっと際立つのか。
ヨーロッパ中世文学「アーサー王の死」(ちくま文庫)-1
ヨーロッパ中世文学「アーサー王の死」(ちくま文庫)-2
ブルフィンチ「中世騎士物語」(岩波文庫)
 フランス古典「聖杯の探索」(人文書院)
ドイツ民衆本の世界6「トリストラントとイザルデ」(国書刊行会)
 フランス古典「トリスタン・イズー物語」(岩波文庫)

 

 本書では19世紀末からのケルト幻想文学のことは書かれていない。それは別の本で補完しよう。とはいえ思い返せば、自分はイギリス幻想文学のうちケルトファンタジーは挫折してばかりなのだった。ジョージ・マクドナルド、アーサー・マッケン、イェーツ、ダンセイニ、トールキンなど。うーむ、どうしよう。
デイヴィッド・リンゼイ「アルクトゥールスへの旅」(サンリオSF文庫)-1