odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ひし美ゆり子「セブンセブンセブン」(小学館)

 ご多分にもれず、おれもウルトラシリーズを見て育ったのである。一時期はウルトラQから帰ってきたウルトラマンまでのすべての怪獣の名前を言えたのである。そうなったのは、本放送を見ていただけではなく、翌年以降、夏休みや冬休みの間、毎日テレビで再放送が繰り返されたからだった。なので、1968年に「ウルトラセブン」の放送が終わり、1971年に「帰ってきたウルトラマン」が放送されるにあたって、少年雑誌は特集を組んで煽ったわけだが、数年ぶりの本放送という感傷的な気分にはならなかった。また著者は1972年に出演した「ゴジラガイガン」を見に来た少年が「アンヌ隊員がでている」と興奮した様子に驚いているが、すくなくとも関東の少年にとってはアンヌの顔は当たり前の情報としてインプットされていたのだよ。
 その後も再放送があったのだが、記憶に残るのは1985年ころの深夜の日本テレビ。これはたしか本編ノーカットで、予告編の代わりに泉麻人が作品ごとのうんちくを語った。たとえば「盗まれたウルトラアイ」の回では夜間の新宿ロケがあり、それは高感度のカメラが開発されたためだとか、怪獣・星人が登場しないのは予算がなくて着ぐるみをつくれないからだとか。当時の雑誌や書籍からは入手できない情報が語られた。たぶん香山リカ荒俣宏同様に、1975年以降の東京の大学生の中には業界のスポットに入り浸ったりアルバイトをするなどしていたものがいたのだろう。そこで裏話を知ったり情報交換をしたのだろう。彼らがテレビに関与する嚆矢があの番組だった。しばらくすると懐かしテレビのうんちくを語り合う「テレビ探偵団」という番組ができた(1986-1992年)。「ウルトラマン研究序説」のようなファンジンがベストセラーになった(1991年)。なによりパソコン通信ができてうんちくを語りあい情報交換する手段ができた。こうして昭和40年代のテレビっ子は、大人になっても子供時代を語ることができるようになった。
(ある作品に熱中して情報を片端から集め、根掘り葉掘りの深読みをするのは1980年代以降のオタクに限るわけではない。そのまえには、文学や音楽がそういう対象になっていた。ドイツ教養主義はオタク的情熱に共通するものをもっていたはず。オタクにないのは歴史と哲学と社会性か。と自己批判。)

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 で、ようやく本書に入るわけだが、特に語ることはない。「ウルトラセブン」の熱心な視聴者ではあったが、「セブン暗殺計画」「ノンマルトの使者」「第四惑星の悪夢」「史上最大の侵略」などを半世紀の間に100回はみたとなると、もはや食傷気味。それに、上のような微に入り細を穿つ「研究」はすでに筋金入りのオタクがやり遂げたので、いまさら参加するだけの情報と熱意をもっていない。
(DVDを全部購入するとか、NHK-BSの4Kリストア版を全部録画するとかの情熱はまだ持っている。)
 再読で目に付いたのは、昭和40年代のオフの過ごし方。新宿に連日繰り出す。なじみの店には売れない時代の松田優作がいて仲良しになる。声をかけてきたカメラマンに誘われてモデルになる。ときにはプライベートヌードを取らせるが、それが未承諾で週刊誌に売られる。スキャンダルになるかと思えば、むしろ仕事が増えるきっかけになる。筒井康隆「新宿コンフィデンシャル」(1971年07月)のような、永島慎二「フーテン」のような喧噪と熱気の新宿がある。そういう場所にいる若者のひとりが著者だった。

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 ただ気に入らないのは、テレビや映画のスタッフが彼女ら女優にセクハラをしかけているところ。本人は「どうってことないわよ、ガハハ」と笑い飛ばしているが、21世紀に読むのはつらい。