大デュマ「仮面の男」がなかなか読み進まないので、こちらに手を伸ばした。デュマを読む参考にはなったと思うが、フランス史の勉強になったかというと、うーん。
デュマの小説「三銃士」「二十年後」「ブラジュロンヌ子爵(後半が「仮面の男)」で世界中にしられたダルタニャン。彼にはモデルになった男がいた。死後、彼が書いたものだという手記がベストセラーになり、デュマの小説もそれなりに忠実に書かれているという(司馬遼太郎「竜馬が行く」みたいなものか)。とはいえ、実在のダルタニャンは歴史には全く登場しない。それでも資料は残っていて、生涯を追うことができる。
彼の生きたのは17世紀。前の世紀の国内分裂(堀田善衛「ミシェル 城館の人」を参照)は収まり、スペインを追い落としてフランスの王権は絶頂期を迎える。それまで地方豪族や貴族などの寄り合い所帯に乗っかっていた王権が絶対的な権力を持つ。経済や産業構造が変わって、金が都市と王権に集まる仕組みができたのだね。そこにはルイ14世、マザラン、フーケなどの個性的な人物がいたのである。ダルタニャンはガスコーニュというフランス南西部の田舎の生まれ。当時のことなので、長子以外には家督を相続されず、坊主になるくらいしかない中、「我らの主人公」はパリで軍人になろうとする。絶対王政は戦争で拡大したのであって、直属軍を拡大する必要があった。地元ではうだつの上がる見込みがないので、パリで一身をかける賭けをしたのである。それは成功し、ダルタニャンはマゼラン枢機卿、ルイ14世の信認をえて、近衛兵の銃士隊になるという地位を獲得する。そこに至るまでにフロンドの乱、フーケの逮捕などを経験した。フーケの逮捕と拘留にあたって、サン・マール牢獄やピニュロル要塞などを訪れいている。後者に「鉄仮面」は収監されていたのであって、そこからデュマの想像が羽ばたいた。
面白いのは、当時の軍人や貴族の忠誠は直接王に向かうのではなく、直属上司に対して示される。なので、上が対立する部隊が同じ町にいると、上から下までで敵意といさかいが起こる。この忠誠心も永続的なものではなく、自分の出世になるなら適宜上司を変えていった。なので、上は下を懐柔しコネを斡旋し不始末の火消しを行わねばならない。ところがダルタニャンは使えたマザラン卿とルイ14世に終生忠誠を尽くす。上司に理不尽な目にあわされたり、友人を逮捕せざるを得なくなっても。これは新しい貴族と軍人の関係のありかた。フランス革命後には国家に対する忠誠に変じ、国家のための死をいとわない兵士にさせられるのだが、ダルタニャンの頑固さや一徹さは国民国家における国民のモデルとなったのだろう。デュマの作が1847年にでているのは、保守的な市民の要望に応える効果になったのかもしれない。
本書の書き手は「我らの主人公」を何度か文中に書き込むように、手法は堀田善衛の評伝に範をとる。あいにく堀田のように乱世におけるインテリの運命という主題をもたないので、歴史を見る眼はまずしい。新書一冊分という分量のせいでもあるが、これでもって17世紀のフランスの政治と思想と文化の動向を把握するにはいたらない。
そのつまらなさはまとめに集約されるのであって、17世紀は公と私の区別のあいまいな時代という。上のように忠誠を示す相手は功利的に、機会主義的にいかようにでも変えられた。でも、ダルタニャンは信義を全うし、「正義」を実現した快男児だという。上司の命令に忠実だとか、私費で部下の軍服を用意するとかを賞賛するのは、どうか。宮使えのサラリーマンにダルタニャンのような忠誠と奉仕をしろといっているよう。21世紀(初出は2002年)には体制擁護のイデオロギーにほかならない。そこらへんで、堀田善衛のような思想がないんだよなあ。
<参考>