odd_hatchの読書ノート

エントリーは2800を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2022/10/06

フリードリヒ・エンゲルス「自然の弁証法 上下」(岩波文庫)

 エンゲルスは「家族・私有財産・国家の起源」でさじを投げたので、もう手に取らないつもりでいたが、絶版になっている「自然の弁証法」を入手できたので読んでみた。もとはエルンスト・ヘッケルがどう扱われているかを確認するくらいの軽い気持ちだった。

 読んでみた。これはひどい
 この本は完成品として出版されたのではなく、死後遺稿を編集したもの(1925年に刊行)。読書メモや覚書、感想ていどのものから科学に関係しているところを抜き出したものらしい。事情を斟酌すれば寛大になればいいのだろうが、影響力を持った本になったので、甘くすることはないだろう。
 エンゲルスの生きた19世紀後半は、科学と哲学の融合を試みた時代。近代科学がほぼ出そろっていたのではあるが、知見は乏しく、観測も十分ではない。それでも宇宙や地球の成立、生物のなりたちなど大きなテーマへの答えを欲していて、知見では埋まらないところを哲学的な思弁で埋めていった。そこに帝国主義や西洋中心主義が加わって差別的な説明が行われた。下巻の帯には「自然科学における観念労的世界観を批判」とあるが、エンゲルスが本書で標的にしたのはそのような時代の科学であって、20世紀以降の科学ではない。なので、エンゲルスと本書の批判はブラッシュアップされた現代の科学には通じない。ここは押さえておこう。
 箇条書きで気が付いたところをメモする。
エンゲルスは、物理的世界と人間の認識、その他もろもろの事象には一般的法則があるという。その法則(どうやら史的唯物論らしい)を把握すれば、世界の神羅万象は説明可能になるとする。科学に限定すれば、この時代には物理学帝国主義のような考えがあり、物理学(アインシュタイン前のニュートン力学に基づく)の法則が世界を説明できると考えられていた。なるほど力学は天体と原子をうまく説明できたが、人間を含む生物になると、細胞・個体・種・環境のレベルでは物理学だけでは説明できない事象がある。それでもなお、エンゲルスは当時の知見で説明できるとする(そこで持ち出されるのがヘッケルの「モネラ」だったりする)。21世紀の読者であれば無理筋な説明であると思うが、エンゲルスは押し通す。

「世界は否応なしにひとつの思想体系に順応すべきものであり、今度はこの思想体系自体は人間の思考のある一定の発展段階の産物でいかないのである(上巻)」

 この思想体系が、ヘーゲルがまとめた「自然と歴史」の弁証法の諸法則であるというわけだ。エンゲルスによると弁証法は質と量の転化の法則、対立物への浸透の法則、否定の否定の法則にまとめられるというが、なにをいっているのかわからない。まあ、高校の倫理社会でやった程度の記憶でいえば、「正-反-合」の運動とでも思えばよいのか。のちに武谷三男が三段階論を提唱して、「唯物弁証論的な実体論的方法の明確化」を行う。もちろん、20世紀の科学哲学や科学史の研究はこのようなたんじゅんな形式を認めないし、実例があったとは見ない。自分はクーンのパラダイム論に肩入れするので、エンゲルスの見方は支持しない。
・人間の歴史の発展と宇宙の成立と変化を同じ法則が流れている、人間社会の仕組みと他の生物の生態に並行関係があるというのは、現在の見方からすると過度な一般化、関係のないものを結びつける強引さがある。これは科学的というより、中国の五行思想のような類推思考に近い。
・世界は一般法則に従っていて、そのとおりに物事は進展する。という考えがあるので、本書の科学的な説明にはいくつかの特徴がある。
1)目的論的説明。「~~のために✖✖になった」という説明。なので、エンゲルスはヘッケルの宇宙的な意思とつながる生命という説明には共感する。というのも、偶然性と必然性を検討して、一般法則による運動や変化は必然性があると喝破するから。なので、ヘッケルの個体の意思やラマルクの獲得形質の遺伝による種の変化を支持する。一方で、ダーウィンの目的をもたない無方向の進化や種の意思を認めない機械論的な説明は拒否する。
2)というわけで、エンゲルスの科学はホーリズム全体主義に近いものになる。種とか人間とかの大きな集団や組織の変化や進化が重要で、個体は全体に奉仕するものになる。ここからレーニンの「革命家」、ボリシェヴィズムまではさほど距離はない。
 下巻になると読むのが苦痛で、適当にページを飛ばして流し読みするしかなかった。エンゲルスは科学の知識や情報を集めるのに熱心で、たくさんの分野でたくさんの文献を集めている。そこから高校の科学の教科書(物理・天文、化学、生物学)を書くくらいのことまでしている。いかんせん記述が古いのと、20世紀になって説明が書き換えられてしまったので、本書で科学の勉強をするわけにはいかないし、科学の方法論を学ぶわけにもいかない。
エンゲルスは一章を割いて超常現象や心霊現象を取り上げる。ほかの章と違って、個別具体例を詳述しているのにめんくらったが、最後には全面否定していたので安心した。神秘主義や心霊現象が知識人にまで広がっていた時期だったので、その種の情報を目にしていたのだろう。ダーウィンと同時期に進化論を構想したウォーレスがこのころ(1880年代)には心霊現象の研究者になっていたのには驚愕。)