2022/07/19 イタロ・カルヴィーノ「レ・コスミコミケ」(ハヤカワ文庫)-1 1966年の続き
Qfwfq老人のホラ話。後半。
いくら賭ける? ・・・ 宇宙ができるまえ、何が起こるかを老人は学部長と賭けをする。どんどんエスカレートして地球の歴史のささいなことまでが賭けの対象になって・・・。老人は賭けに勝つために事象を記憶し法則性を見つける。なるほどそこから天文学と力学が始まったのか。(事実、惑星の動きを予測する=賭けに勝つために科学研究が始まった)
恐龍族 ・・・ 恐竜が絶滅して5000万年。最後の一匹となった老人が新生物の群れに入る。異分子として敬遠され、喧嘩に勝って一目置かれるようになり、恐竜(実はサイ)の群れに対抗するリーダーに推挙される。新生物が無邪気なのに、老人は孤独がいや増す。大衆の中に一人いる知的エリートの孤独、みたいな感じ。
空間の形 ・・・ 落下し続ける老人の関心は平行線をたどって同方向に落ちていくウルスラ夫人。しかしフェニモア大尉が恋敵になって、二人にちょっかいを出していく。空間のゆがみに合わせて(もうデカルト的な均質空間の概念はない)彼らは落下するが、並行関係はかわらない。ついに落下は文字の中にまで及び・・・。スターン「トリストラム・シャンディ」のように図形とテキストの差異がなくなる。表音文字のアルファベットに図形を見出し、そこに冒険を持ち込む。
光と年月 ・・・ 一億光年先の星雲に「見タゾ」のプラカードをみつけた。まさに一億年前、思慮に欠けた隠しておきたいことをしでかしていたのだ。そこで「ソレデ」とプラカードを掲げた。一億年後に返事が届き、他の星雲でも「見タゾ」のプラカードが掲げられる。老人は自分のイメージが損なわれないよう釈明のプラカードを掲げるようにしたが、星雲は次第に遠のいて、光の速度を超えて後退する。すると老人の釈明は永遠に届かない。宇宙的な孤独の現れ(実際、いま(とはいつか)から千億年後には銀河系宇宙以外の宇宙は高速では追いつけない遠くに行くのだし)。21世紀にはSNSの炎上の比喩にも思える。
渦を巻く ・・・ 老人が軟体動物(の前駆?)だったころ、ある娘に惚れてしまった。娘にどうアプローチしようか考えているうちに娘はいなくなり、老人は石灰質を分泌するようになり、閉じこもり、いろいろ思案するうちに視覚を獲得する。それはイメージを持つことでもあった。(軟体動物は視覚を十分にもたないのに、人間が見て美しい複雑な物を創り出すという文章から創発された小説)
冒頭に科学書から取り出した一節が引用される(もしかしたらカルヴィーノの創作かも)。それを聞いたQfwfq老人は語りだす。老人は原子の海にもぐりこんでいたり、恐竜だったり、軟体動物だったり。時には宇宙創成前からの存在であったり。その融通無碍ぶりといったら。
全部がQfwfq老人のモノローグ。でも、なんにでもなれるQfwfq老人がもっているのは文体の同質性だけ。それ以外の属性を供えていない。一人語りのうっとうしさから免れていられる。同じようなモノローグの文体だと、ドストエフスキー「地下室の手記」のような自閉性がでてくるものなのだけど。あるいはデカルトの「方法序説」やハイデガーの「形而上学入門」を思い出してもよいかもしれない。「私」の同質性や持続性にこだわると、思考の形式も自閉的になりやすい。自分や私だけでは説明がつかなくなって、超越的な概念(神や国家や民族)を使いたくなる。でもカルヴィーノのQfwfq老人は「私」から抜けられない文体なのに、自閉的ではない。この数百年の思考の桎梏から抜け出せたのはすごいなあ。
(ああ、そうか。森敦「意味の変容」(ちくま文庫)に近いのはツァラトゥストラではなくて、この「レ・コスミコミケ」のほうだ。)
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