odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「ミシェル 城館の人2」(集英社文庫)-1

2022/08/22 堀田善衛「ミシェル 城館の人1」(集英社文庫)-2 1991年の続き

 39歳にして隠棲を始めたからといって、現代のひきこもりや江戸川乱歩の作中人物のようなものを想像してはならない。高等法院の前審議官であり、貴族の領地の経営などを引き継ぐとなると、仕事はそれなりにあるのである。人が来るし、出かけることもしょっちゅう。ときには貴族や王族からの呼び出しもある。身分の上下を気にせずだれとでも付き合う。一方、母と妻の折り合いは悪く、ミシェルは家族には冷淡でもある(それ以外の女性には親切)。気難しい。家や領地には不満や不審が渦巻いていた。それでも塔の一室を自室にして、書を置き、ペンと紙をおいて自分のことを書くのである。
 もともとラテン語母語にしてきたので、キリスト教の書物よりもローマ時代の書籍のほうが身に近しい。なのでミシェルの思考は当時としては異質。ローマの異教文化(多神教論、プラトニズムなど)の影響が色濃い。それは以下の特長に見て取れる。
・文体の創出(説教でも論文でも書簡でも哲学論でもない談話風)、
・神学拒否、・判断理性を使い(神を根拠にしない)で何にもで関わろうとし人間観察を行う、
・党派に偏らない、など。
(その代わり、哲学を期待すると「エセー」は常識的な内容で肩透かしに思えるので、「耳を傾けつつ、一緒にゆっくりと歩いて行けばいい(P275)」と著者はアドバイスする。本書で「エセー」がさかんに引用されるが、既訳を使うのではなく、著者自身が翻訳したもの。そういえば著者は仏文科を卒業したのであるし、戦中から戦後のしばらくまで翻訳で生計をたてていたのであった。)
 これらが同時代のルネサンス人の中にあって目立つのはいくつか理由がある。ギリシャ・ローマを次いでキリスト教圏になったあと、キリスト教文書を除いて一千年ほど文芸・人生論などの本をほとんど作れないでいた。参照する書物の少なさが、思考の幅を狭めたといえる(どうしても神と対峙しないといけない)。さらに、ルネサンスの時代は流血の時代であって、異端審問・魔女狩り・教会の襲撃・聖遺物の破壊が横行し、鉄砲ほかの新兵器を使った戦争・紛争が頻発していた(なので中世騎士は無用になっていた。馬上槍試合はこの時代が最後)。流血は被害者と被災者の記憶に残るが語られず、非当事者はすぐに忘れる。人間の自由もなく、人権や尊厳を持たない時代にあって、モンテーニュがそれらを考えていることは希望なのだ。

「たとえ時代がそれ自体として最悪であったとしても、絶望の必要はない。(P129)」

 というのも、当時のフランスの王権はきわめて脆弱な状況だったのだ。隣国のスペインは金持ちで、イタリアの教会と貴族層の権力は強く、海を挟んだイギリスも拡張期にあった。そこにおいて王はいささか頼りなく、貴族はカソリックプロテスタントに分かれて海外の勢力と個別に手を結んでいて、イタリア出身のカトリーヌ・ド・メディチひとりで国を背負っている感がある。貴族の一員であるミシェルもそれらの動向を見ながら、己の思索と自分自身を見つめる作業をしなければならない。死においれ人は平等であるという認識は、構成と平等という概念を生み、国内で対立するカソリックにもプロテスタントにもよらないが(自身はカソリック教徒)、信仰の自由を見据えているのである。「エセー(試み)」に書かれた文章は200年後のフランス革命期に書かれたとみても差し支えないほどなのだ。

 

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