odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

堀田善衛「ゴヤ 4」(朝日学芸文庫)-2

2022/08/30 堀田善衛「ゴヤ 4」(朝日学芸文庫)-1 1977年の続き

 「ゴャの諸作は、あまりに生々しく人間的であるために、美術作品でありながらも、美しい、という語を付することの不可能なものばかりなのである(P294)」

 

暗い谷間に ・・・ 1810年代の暗い時代のゴヤの公的な仕事を概観。教会と悶着を起こしたり、新体制に敬遠されたことなどで仕事は減る。ゴヤの宗教画について。彼は反教会ではあったが、反キリスト教ではなかった。

最後の宗教画 ・・・ 同時ころに描かれた宗教画。駄作と傑作(「撒撹山上の祈り」1819年)。この作で西洋の教会用宗教画が終わる。以降は、宗教は活字、文字、哲学の世界に移る。

聾者の家(Quinta del Sordo) ・・・ 70歳を超えて、手、腕すなわち技術の絶えざる更新を試みる芸術家。今度はリトグラフに挑戦。73歳にタイトルの家を購入。大患。

革命・混乱・内戦 ・・・ 1820年。反乱から革命。フェルナンド7世に憲法忠誠を誓わせ、修道院その他を解放。しかし政府の混乱。王政派と迫害経験者の間のテロやゲリラ戦の応酬。

「スペインの自由主義者たちは、今日から見ていささか異様に聞えるかもしれないが、実は全ヨーロッパ的な希望を担っていたものなのである。/従って一八二○年のリエーゴの革命は、全ヨーロッパ的に自由主義者の反応と支持をえ、その憲法は模範的なものと看倣されていた(P353)」「遺憾ながらスペイン内における現実の自由主義革命は、メッテルニッヒが怖れているほどには実体をもったものではなかった(P354)」

版画集『妄=ナンセンス』 ・・・ 

「ゴャの謎にみちた多くの作品中でも、もっとも読解のむずかしいものであり、いまも言ったように意図的に暖昧化もされている(P268)」。

1815-24年につくられたタイトルの版画集を読む。「ナンセンスとは、もっとも真剣なものの謂いである(P298)」。ナンセンスが不真面目、いいかげん、適当、くだらないなどの意味を持っていた時代(連載1976年、単行本1977年)において、この言葉が発せられている。

『黒い絵』について(Las Pinturas Negras) ・・・ 

「絵画芸術というもののなかでも、もっとも謎にみち、かつ、反語的な言い方をとるとすれば、もっとも個人的な作品群である(P299)」黒い絵について。「一八二○年から二三年、つまりは七四歳から七七歳にかけての病後の老人が」「新しく得た別荘の主要な二間――階下の食堂と二階の応接間――の壁面を、全部で15枚(略)独創的かつ創造的な作品で塗りつぶした(P300-301)」「他人様の誰にも見てもらう必要のない、つまりは先にいったように、いわば見られないための絵画である。それは、美術のみならず、芸術一般が始原的に内蔵している矛盾の極北であろう。(P301)」「子殺し、聴覚喪失、性の死刑執行人であると同時にその死刑囚でもあることの自覚、女性憎悪、これら四つの深甚重大な要素は、煎じ詰めてみれば一つのことである。/死に近くして、その自覚が一層に激しく、それを明らかに描き出しておのが眼で直視しない限りは、これを克服する道なしと考えたとしても不思議ではない。というよりは、芸術家には、その他に超克の道はないのである(P327)」「彼は、この、内的自由を得る(黒い絵を描く)ために、生涯かかって稼いだ金を払って家を買わねばならなかったのである。それは半世紀にわたる労働に、値した(338)」

 黒い絵が奇態なのは、誰かに見てもらうことを想定して描いたものではない(自宅を美術館としてしたものではない)、作者74-77歳で聾者の老人が大変な苦労をして描いた、という事実。それも自由主義の革命が進行している最中に家にこもって。総括は、

「理性の眠りは妖怪を生む。/理性に見捨てられた想像力は、不可能な妖怪を生む。それが合体すればこそ、芸術の母となり、その奇跡の源泉ともなるのである(P377)」「彼の人生そのものが、ポケットを裏返しにしたようにして表現されてもいるであろう(P378)」

一八二三~二一四年 反動・弾圧・迫害 ・・・ ナポレオンが失脚しフランスに王政が戻る。1823年に、スペインの自由主義制に軍隊で介入。フェルナンド7世が復位し、反動・弾圧・迫害の再開。その間10年。ゴヤも身の危険を感じてボルドーに亡命(身分を保証され、金も持ち出せた)。聾の家と黒い絵は孫に相続。

一八二四~二八年(パリ・ボルドーボルドーにて、Adios Goyaゴヤよ、さらば。) ・・・ ボルドーを経由してパリへ。フランス人のサロンには出入りしなかったが、展示会を見に行ったことは想像に難くない。

「ロマンティシズムとは、特に造形美術において、いわば言葉がかりの芸術である。もう少し極端なことを言えば、文学にどっぷりと浸された作品群である。それは言葉によって説明可能なものであり、その鑑賞にも当然言葉を伴って別に不思議のないものであった(P409)」

 このロマンティシズムの説明が正当であると思うのは、ロマン派の音楽が文学に題材を取り、あるいは表題をつけ、「交響詩」などを標榜するようになったから。くわえて、この時代から音楽評論が始まり、スタンダールシューマンなどが盛んに書いた。
 とはいえゴヤはロマンティシズムには反応しない。作品も少ない(まあ80歳近い老爺だ)。
 のちボルドーに移動。ここではスペイン語話者がたくさんいる。多数のデッサン、版画。最後の作品「ボルドーのミルク売り娘」1827年1828年4月16日永眠。

ゴヤの墓  ・・・ 遺骨が安住するまでには長い時間がかかった。(ゴヤが偉大であると認識されるのは、死語半世紀も過ぎてからだった)。

 

 ここまで浩瀚な画家の評伝を読んだことはない。ただただ圧倒。「朝日ジャーナル」の連載は5年ほど続いたが、著者の探求はそれよりもっと長い時間にわたる。それぞれの章の終わりについている参考文献や引用をみれば一目瞭然。くわえて一時はスペインに在住し、世の中に散逸しているゴヤの絵を直接見るべく、悪戦苦闘している。おそらくは複製画を買い求めてあかず眺める(版画集『妄=ナンセンス』 の一枚を寝室に飾るまでしている)。通常なら美術図鑑をいくつか買い求めておしまいにするところを。この探求もまたゴヤに匹敵するほどの活力、妄執、想像力。全集を買い求めておしまいにする日本人とは、スケールが違うのだ。そのうえ、作家の探求心はゴヤの周辺にまでおよび、家族友人知人政治家はおろか、同時代の画家からベートーヴェン、ナポレオンにまで及ぶ。ゴヤを語る本書ではあるが、どうじにフランス革命とその芸術面の影響に関して、これほどの視野と含蓄を語るものはない。クラシック音楽愛好家として、モーツァルトベートーヴェンにはそれなりに詳しいとは思っていたが、上に引用したように新古典主義ロマン主義芸術をこれほど的確にまとめたものはまずない(それは吉田秀和などの同時代の音楽評論家の評論が示すパースペクティブを軽々と超えている)。もう脱帽するのみ。
 同時にゴヤの生き方には凄みがある。なにしろ80歳を超えてなお創作をやめない。新しい技術に挑戦する。報酬を得ること、資産を守ることに汲々としていたようではあるが、宮廷などの下請けで雇用が不安定であるとすれば仕方あるまい。そのうえ芸術の消費者がブルジョアになりつつあると知れば、市場で作品を売ることも試みる。クラシック音楽で言えば、J.S.バッハモーツァルトの苦労を一人でやったようなものだ。さらに職人であったところからおのずから芸術家となっていき、新たに人間を発見しているところも。ここは作家の筆でもって確認するべき内容であって、俺が貧しい言葉で繰り返す必要はない。
 芸術家の評伝であるので、作品を脇にして、文章と相互に見比べながら読むのがよい。文庫に収録されている図版は貧しい印刷であるが、さいわいインターネットで簡単に検索できる。手間はかかるが、作者の苦労に比べればとても簡単。

 

 

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