odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

堀田善衛「ゴヤ 3」(朝日学芸文庫)-2

2022/09/02 堀田善衛「ゴヤ 3」(朝日学芸文庫)-1 1975年の続き

 

 堀田善衛の「ゴヤ」は全4巻なのだが、最初の二巻でゴヤは60歳の老人になる。そのあとの20年を描くのに、それまでの60年と同じ量の文章を使わねばならない。
 思い返せば、作者が「ゴヤ」を連載していた1970年代、スペインはフランコ独裁制にあった。かの国の監視と秘密警察の存在は自由と平等を許さない。画家の自由を行ったゴヤを描くことはスペイン市民へのエールに他ならない。

マドリード・ホセ一世 ・・・ ナポレオンに任命されたホセ一世は1810年から民主化・開国のリベラル政策を進める。すぐにスペイン人の猛反発を受ける。ナポレオンは修道院の閉鎖令をだし、美術品50点をフランスに送り、のこりで美術館を建てることを命じる。選定の委員にゴヤが選ばれる。(戦争が起きるごとに、侵略地や占領地の美術品を強奪し本国に持ち帰るのは昔からの事例。20世紀でもナチスソ連、日本などがやった。)

アトリエにて ・・・ 1811年から翌年にかけて大飢饉。都市で餓死者多数。そこにポルトガル駐屯のイギリス軍がウェリントン将軍(のちにナポレオンを破り、ベートーヴェンが曲を作る)に率いられてスペインに侵攻。さらに物資不足。ゴヤは宮廷画家の仕事をしなくなり(来なくなった)、自分の勉強のためにさまざまな絵を描く。
 以下のことがさらっと書かれる。クラオタの俺も知らない情報で、作家の博識・好奇心に驚愕。

「この当時、オーケストラの指揮は紙切れをまるめてタクトとしたものであった(P249)」

版画集『戦争の惨禍』 ・・・ 6年の対仏戦争(1808-1814)の間に書かれたデッサン、版画などをまとめたタイトルの画集。人間の残虐、悲惨、悲痛など。副題「わたしはこれを見た」の徹底的な執念。「われわれのゴヤは、年老いて、枯れたり乾上ったり、あるいは円熟というものをしたりする人ではなかった(P288)」。フーコーの「狂気の歴史」はゴヤの絵の狂気を理解する助けになるとのこと。作家は「戦争の惨禍」を「方丈記」「明月記」のように詳細に読む。

フランス革命後に、ナポレオンによって創設された近代国家と、それに付随する暴力装置としての近代的国民軍というもの、及びこのナポレオンの国家と国民軍に対抗して創設されたヨーロッパの他の近代的国家とその国民軍の、この両者によって開始された帝国主義時代。/そのナポレオンがスペインの百姓と下層人民によるゲリラと、ロシアのクトゥゾフ将軍塵下の軍隊と凍原の百姓たちのパルチザンによって叩き漬されたことの象徴性が、その後の、数々の一九世紀、二○世紀を通じての「戦争によって戦争を営ましめる」式の戦争を経て、最終的には、ベトナム人民の三○年にわたるゲリラ戦争によって受けつがれ、そこでわれわれの国家単位の″現代″が終ることになってもらいたいものであるという、いわば現代終罵願望が、この『戦争の惨禍』をくりかえし眺めていると私は自分のなかに海群として湧き起って来てそれを押しとどめることが出来ないのである。おそらく、この秘められたる願望が私をしてこの『ゴヤ』を書かしめている情熱の根源をなすものなのであろうと思う(316-317)」

幕間・過渡期 ・・・ 1814年、ナポレオンはでていき、亡命したフェルナンド王が帰還する。

『五月の二日』 ・・・ フェルナンドや将軍の凱旋にあわせてゴヤは1808年5月2日の民衆蜂起を巨大な絵画にする。そこに描かれたのは民衆、下流階級、マホらの人々。将軍も王も絵画に登場しない。

「押し掛け自主制作は、人々に、民衆に、マドリード市民に、スペイン人の全体に、ひいては人類のすべてに、人間性に対して話しかけているのである。それは人々に話しかけ、しかも何かを人々から求めている(P375)」

『五月の三日』 ・・・ 「一八○八年五月三日、プリンシペ・ピオの丘における処刑」の絵。民衆処刑の図でありながら、キリスト受難画でもある。
自画像 ・・・ 1815年、ゴヤ69歳の肖像画。40歳年下!の女性と結婚。不動産を息子に贈り、自身は動産と妻を伴って安全なところを探す。

 

 フランス革命を契機にして19世紀が始まる。どのような時代であったかを芸術の側からみるとこのようになる。

「しかしもはや偉大化も英雄化も出来ない時代が来ているのである。主人公は無名の民衆であり、民衆はそれ自体偉大化や英雄化をされる必要もなければそれを要求もしない。そうしてこれを画家の側から見れば、おのれの判断、印象をじかに画布にぶつつければよいということになる。かくては主題のなかに当然、美のみならず、人間の醜悪、獣性の表現などもが入って来ることになる。/歴史画を描くにしても、描かるべきものは画家自体の判断であり印象・感情である(P387)」

 人間らしさの復活であれば、13-4世紀からのルネサンスもそうだが、あの時の「人間」は貴族や僧侶やインテリたちで、読み書きのできない民衆や大衆は除外されていた。それが理念先行であれ、民衆にまで広がった(でも肌の色が違う人や移民、非定住民、特定宗教や民族などまでは拡張されていない)。
 こういう変化を見る事例として芸術や文芸はよいサンプルになる。とはいえ、堀田善衛のように社会情勢や政治までを俯瞰した書き物はめったにないのでとても貴重。自分の興味ある分野で乏しい読書を思い出しても、たとえばベートーヴェンにあったかどうか。どうしても芸術家の作品と生涯にフォーカスして、美や芸術の範疇で物事を見てしまう。ベートーヴェンの作に交響曲ウェリントンの勝利」があり、存命中では最も人気作品だった。それを吉田秀和は駄作と断じる(「LP300選」)。たしかにフランス国歌の引用やなまなましい戦場描写はベートーヴェンらしくない(バロックロココの時代には当たり前の手法)。でも、本書にでてくるイギリスのウェリントン将軍をみたり、ワーテルローでナポレオンが敗退したことを思い起こせば、ベートーヴェンがまさにゴヤと同時代を生き、ナポレオンという怪物を眺めて受け止めていたことがよくわかる。

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南北戦争時のキャノン砲などを博物館から借り実際に砲撃した音を収録した1963年録音盤)


 19世紀の芸術革命はベートーヴェンのような音楽でも、ヘーゲルのような哲学でも、スタンダールフローベールのような文芸でも起きたのだし、写真などの科学技術も芸術の在り方を劇的に変えた。そういう運動のなかに、絵画においてはゴヤは先駆的な有り方を示し、ベートーヴェンのようにその後の可能性をほぼ独力で開拓してしまうような仕事をした。ここら辺は、幾百の本を読んでもピンとこなかった(というか問題意識を持たなかった)ので、本書はとても重要。

 

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2022/08/30 堀田善衛「ゴヤ 4」(朝日学芸文庫)-1 1977年 に続く